■ [大事なこと]ミニティチャー
我々の考え方と、ミニティーチャーとは似ているようで、全く違います。両者とも教師が一歩引いているところまでは同じです。でも、我々は子ども「集団」が有能と考えているのに対して、ミニティーチャーが子どもの中の「一部」が有能であると考える点が全く違います。もう一つあります。ミニティーチャーは、教師が楽するための便法です。もちろん、我々の考え方が実現すれば、教師は楽になります。でも、我々の場合は、「楽」になることを目的としているのではありません。
このあたりはちょっと説明がいります。ミニティーチャー(また、お兄さん・お姉さんを強いる異学年も同じ)の場合、教師はごく一部の子どもに目的の意味を語ります。そして、それで問題が解決できればOKです。そして、子ども集団が全体として動いているかどうかは二の次、三の次です。ようは、目前の課題が乗り越えられれば良いんです。ミニティーチャーに選ばれる子どもは有能で、良い子です。一生懸命に課題を乗り越えようとします。ただし、「一人で」乗り越えようとします。有能ですので、大抵の部分は乗り越えられます。でも、やがて歪みが生じます。「何で自分だけが!」と思います。その歪みを教師にぶつけるのではなく、思い通りに動かない他の子どもにぶつけます。他の子どもは、その子がミニティーチャーであることを知っています。そのため、ミニティーチャーである子どものイライラを、教師のイライラと同じく、甘んじて受け入れます。でも、いつまでも続きません。やがて問題が生じます。上記のことが分かった教師はミニティーチャーを作らないように努力します。出来るだけ、多くの子どもに課題を語ります。そして、特定の子どもが、課題を共有するためことを求めます。
ミニティーチャーに選ばれるような子どもは有能です。でも、その子どもに対して[も]集団の有能さを実感して欲しいと願います。それが、ミニティーチャーに選ばれるような子ども、そして、その他の子どもにとっても大事なことです。だから、我々教師は「みんな」 に対して、一人では決して出来ない、ものすごい高い課題を与えます。そして、「みんな」が課題を共有しているかを気にかけます。