■ [報告]分からないのは誰
先だって、群馬の学校に院生さん3人と行きました。院生さんは、その学校の先生たちと議論しながら学び合いを伝える役です。Kanさんは秀逸な一言を織り出す才能を持っています。その時もありました。ある先生が一年生が学び合いが出来るか不安に思い、「一年生は伝える能力がない」とおっしゃっていました。それに対して、Kanさんは「一年生の子どもが伝えられないのは、クラスメートではなく、教師であるあなたに対してではないでしょうか?」と看破されました。まさにそうです。子どもたちの会話を聞くと、「え???、何で、そんなことで分かるの?」という場面がよくあります。ある子が別の子に説明します。我々にはその子の説明はちんぷんかんぷんです。ところが、説明を受けた子どもは「分かった」と言います。教師は子どもを教える能力がない同じ理由で、子どもが教える能力を分からないのだと思います。
追伸 実はもう一人の援軍がいます。Kinさんの現場実践で学び合いを実感したS先生です。我々4人と一緒に語っていただきました。Kanさんが、その先生の言葉を秀逸な一言として語っていました。曰く、「俺は、今までの授業でも良いんだけど、子どもたちが喜ぶから学び合いをするんだ」です。実力のある教師の一言だと思います。しかし、KinさんとTTで授業をしているS先生の様子をビデオ記録で見ると、本当に幸せそうです。子どもの凄さを実感し、「すごいな~」と純粋に驚き、喜んでいます。実は、子ども以上に、S先生が喜んでいるのだと思います。