■ [う~ん]年に一度の病気
昨年の7月にそしてその2004年3月に「上越教育大学」をアップしました。そして、2005年7月に「上越教育大学(その2)、(その3)、(その4)」をアップしました。その度に、私は何故、上越教育大学に居続けたいのかを問い直しています。
繰り返しになりますが、私が上越教育大学に20年も居続けている第一の理由は、上司にめちゃくちゃ恵まれているためです。信じられないほど恵まれています。第二の理由は、現職院生さんと共に研究するという現在の研究スタイルを維持発展できる大学は全国的にも3大学しかありません。そして、東日本にただ一つある大学が上越教育大学だからです。
しかし、第一の理由に関しては、最大で2年でタイムリミットです。第二の理由に関しては、教職大学院が本格的に始動し始めたら、選択肢の幅が広がります。私が責任を持つべき方も、優秀ですので最大5年以内にいっぽんどっこでやれるはずです。ということでおおよそ最大5年先には、積極的に上越教育大学に居続けなければならない条件は消失します。
逆に異動したいという条件は大きくなります。生活面で言えば、子どもが大きくなり進学を考えるようになり、また、年を取ってくれば除雪がしんどくなります。
研究面で言えば、既に山は越えたと不遜ながら感じます。だって、あれほどの難関と思っていた教師集団を変えるという課題でさえ、既に端緒は見えました。今年のM1、M2の方々がある方向性を出してくれるでしょう。そして、現実にそれを受け入れてくれる学校も現れるでしょう。もう既に、教室レベルの課題を解決したと不遜に思っている私にとって、それ以上の課題があるとは考えられません。もちろん教育研究のテーマはまだありますが、現在得ている考え方以上に汎用性の高く、効果が絶大で、教育の根本に迫るものを、私の人生において見い出せるとは思えません。
全国的にはニーズがあり出張が続く私ですが、不徳のためか地元の上越でのニーズは殆どありません。片道4時間かけて学校サポートに行く車中で、何で、片道20分の学校からは声がかからないのだろうと思います。私の講演や学校サポートのことを考えると、上越教育大学は最悪の地理的条件です。新幹線の駅(ただし各駅停車のみ止まる駅は除外)の近くの大学のほうがずっと便利です。そしてサポートしている学校の近くで勤務することが、私のやりたい学部の教員養成、現職再教育を実現する条件です。それが実現できれば、現在構想している大学院より、よい教育が出来る可能性があります。
まあ、そんなことを書きながらも、退職まで上越教育大学にお世話になると言うのが、最も可能性が高いと思いますが・・。年1回再発する病気みたいなもんです。
追伸 この手の病気は、大学で「バカ野郎~」と叫びたくなることがあり、その怒りが収まり、冷静に分析できるようになるとなります 。だって、怒っているうちは攻撃することで頭がいっぱいですが、冷静になれば退却する利点も見えますから。でも、よきボスがいるうちは、この思いは収まります。しかし、その方が退職された後は、どうなることやら。