お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2007-09-29

[]結果を出さねば! 22:27 結果を出さねば! - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 結果を出さねば! - 西川純のメモ 結果を出さねば! - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のKさんから本日、以下のメールをいただきました。嬉しかった。私にはもっとすべきことがあると感じました。

『以前、先生に「産休の友人がいるので、渡したいので先生の本にサインしてください。」とお願いしたことがありました。その友人は、無事出産し、産休・育休となっています。その友人からきたメールを、本人の了解を得て、先生転送します。私の友人ですら『学び合い』に入っていくのに、これだけ抵抗があると分かります。以下、全文です。

K先生お久しぶりです。お元気ですか。私は元気です。復帰までにあと六ヶ月。せっかく時間があるうちに何かしたいと思って西川先生の本を読み始めました。だいぶ前に買ってあったのに妊娠中は集中して読めず頭の中に内容が全然入ってこなくて、何度も同じページを読み返して、結局一冊も読みきれず終わりました。でも復帰が近づいた今、改めて西川先生の本を読み始めたら止まらなくて。今月一気に四冊読みました。時々K先生にお会いした時に話をお聞きしただけの時は、正直子供たちに任せて成績が上がるなんて半信半疑だったし、教師は教える為に居るのにそれでよいのかなあと、教師が楽をしている様に思えてしまう気持ちが正直ありました。(とても失礼な事なのですが)でも本を読んで生の子供たちの変容やプロトコルを聞くと、今の時代の子供たちだからこそ、子供たち同士の学び合いコミュニケーションがとても必要で大切な事だと気づきました。知識や学力を身につけさせる事ばかり考えていたけど、その集団に属していたい、自分はその集団で満足しているという実感を休み時間だけでなく授業で持たせる事、子供たちが主役だという事に気づきました。西川先生やK先生の目指す理想のクラス像が、数々の調査・検証・プロトコルによるものだと解りました。理科が大の苦手な私にとって、理科が苦手な人の方がよいという一言は救われました。地層を自由に観察しなさいで2パターン認知スタイルがあったり、誤解を持たない事が問題だったり。読めば読むほど自分で今まで考えもつかなかった事が書いてあって、私は「なぜ、理科は難しいと言われるのか?」がおもしろかったです。全然話は変わるのですが、息子が1歳10ヶ月になりました。毎日ベランダのバラの花に自分の気に入っている物を見せて会話(らしきもの)をしています。バラは私の腹話術です。ある日車(ダンプカー)を見せていたので、「それどこで買ったの」と聞くと「イオン」と答え、「誰が買ってくれたの」と聞くと「ばあば」と答え、それなりに会話が成り立っていました。でも、もっと驚いたのは、「それ何する車?」と聞いたら、「ジャーッ」と言いながら砂利を下ろす真似をして、バワーショベルを持って来てダンプカーに砂利を積む真似をしてたんです。西川先生の本を読んでいた真っ最中の私は、人間は生まれもって説明能力はあるのだ!!と感動しました。息子の保育園を決めるのに何個か園を見て回りましたが、子供たちは意外と何でも自分たちで出来ていて、遊びだって自分たちで成り立たせているんです。一年生の担任が多かった私は、「今まで一年生を侮っていた。みくびっていた。」と反省しました。園で経験してきた事を知らないから、小学校に上がると急に一番下の学年で赤ちゃんのように扱われる。でも低学年でも学び合いは充分成り立つのだと私は思います。私は、復帰の際はきっと低学年か中学年の可能性が大きいです。でも、もっとちゃんと西川先生やK先生から学び合いについて教わり、クラスに生かせたらよいなと考えています。自己モニタービデオ視聴、ロールプレイングプロトコルを聞く、色々あるけれど、できる事から始めたい。本を読んでよかったです。少なくとも、教師から見て子供たちの無駄なおしゃべり、ふざけている様に見える子供同士の会話の中に学び合う会話があると気づいたこれからは、子供たちの会話に耳を傾けずに「静かにしなさい!!」と一方的に叱りつける事はしないと思います。

あと西川先生転送する時に少し文章を追加したいのですがお願いします。「先生の本を4冊読んだ時点でも「学び合い」に対して少し半信半疑で「教師は教えるのが仕事なのに」という固い考えを今でも頭の隅から捨てきれない私です。でもそんな私の心を「学び合い」を迷わずに復帰したらしてみたいという方向へつき動かしたのは、先生の本の内容はもちろんですが、最後に読んだ「学び合いの仕組みと不思議」の93ページ「できると信じることによって、これからの長い教師生活を張り合いのあるものとすることができないだろうか。」という一文です。私の教師生活は、雇ってもらえていれば約20年続きます。この一文を読んで、「せっかく続けるなら張り合いのあるものにしたい。」と強く思いました。子ども達を信じる事で張り合いのあるものとなれば、それは素敵な事です。正直いうと、たとえ30人学級が実現しても二人の先生で半分の15人を見るとしても少人数でも、全員に教師一人が勉強を教えて理解させる事に限界を感じます。少人数でもいつもその壁に当たります。それに勉強を理解させる事を全てと考えていて、授業に子ども達が自主的に参加した充実感を持ったかなんて考えもしませんでした。「学び合い」という私では考えも及ばない違った考え方に出会えてよかったです。ありがとうございます。そこに携わったK先生サークルに参加していてよかったです。あとは、自分が実際に復帰して「学び合い」をした時に、子ども達に実りのある取り組みになればいいなと思います。私が取り組んだら逆にクラスダメにならないように、本を読んだり、先に取り組んでいるサークルのみんなに教わったりしたいと思います。』

[]長野の会 22:02 長野の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長野の会 - 西川純のメモ 長野の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2週間後に長野市『学び合い』の会があります。お誘いします。詳細は以下をご参照ください。

http://rika.shinshu-u.ac.jp/misaki/20071013.pdf

[]はし記念日 21:12 はし記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - はし記念日 - 西川純のメモ はし記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 かなり以前知った話です。少年院舞台としたドラマ制作現場で、監修を頼まれた少年院の元教員が「おかしい」と指摘した部分がありました。それは、食事場面で、不良役の役者が箸を正しく使って食事しているのに対して、普通子ども役の役者が箸を変に使って食事していたからです。その元教員によれば、少年院に来る子どもたちの中で、正しい箸の使い方を出来る子は殆どいないそうです。その話を聞いて、なるほどな~と思いました。家庭学習がどれほどなされているかは、いろいろな場面で見えます。しかし、もっとも分かりやすいのは食事の場面です。特に、箸の使い方、また、骨付きの魚の食べ方を見ればすぐに分かります。そして、家庭学習の有無が、その後の成長に影響を与えるのは想像に難くありません。

 本日、ふと息子の食べる姿を見ていましたが、正しく箸を使っています。とても嬉しい。今後は、サンマの塩焼きをきれいに食べられるようにしつけよう。

追伸 ふと思い出しました。我がゼミ『学び合い』を基本としていますので、私はゼミ生に対し教えません。学生同士が学び合います。しかし、ただ一つの例外は、箸の使い方です。変な使い方をしているゼミ生がいると、しつこく直すように言います。ということは、私は箸の使い方を「人の道」ととらえているようです。考えてみると、ゼミ生同士では「箸の使い方」を注意していないように思います。

[]時津風部屋 16:50 時津風部屋 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 時津風部屋 - 西川純のメモ 時津風部屋 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今回の時津風部屋での弟子の急死事件を見ていると、かなり以前のメモhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20020701)を思い出しました。

 オオカミなどの群れるほ乳類が同じ群れのメンバーに攻撃する場合、その方法は儀式的で、けっして強い痛みを伴いません。それでいてメンバーにとって決定的な影響を与えているのは、そのメンバーにとって何よりも重要なのは、その群れに属することであるからです。ボスから、「おまえは群れのルールに反している」という意思表示をされることは、群れる生物にとっては決定的な意味を持ちます。

 そう考えると、殴る、蹴る等の体罰をするということは、とりもなおさず、する側がされる側を同じ群れのメンバーだと考えていない証拠です。運動部での体罰の是非が議論されることがありますが、百歩譲っても、儀式的な体罰で十分なはずです。傷が残るような体罰は決して必要ないことは断言できます。少なくとも同じ群れのメンバーに対しては。

 今回の事件の発端は、その弟子が部屋を脱走したことに端を発しているとのことです。つまり、その子にとって、時津風部屋は自分の群れとは判断していなかったようです。また、その親方と兄弟子は傷が残るような体罰を加えたと言うことは、親方と兄弟子は、その子を自分の群れとは判断していなかったようです。

 これまた、かなり以前のメモhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20020603)に書いたように、群れの健全性を保つ大事な基本は、その群れから逃げられる権利を保障することです。不登校や教室に入れない子どもがいても、それを強制的に戻すべきとは思えません。不登校になれる、教室に入らない、という権利を保障されているのに、クラス勉強することが大事だと思います。

 親御さんには酷い書き方かもしれませんが、戸塚ヨットスクール事件と同様に、体罰が続く背景には、親がある程度の体罰を是認しており、そして、その体罰の実態を知ろうとはしなかった。つまり、全面委任をした、それは子どもを捨てたのです。それ故、子どもが逃げる権利を剥奪された結果であるとも思います。そのことを一番分かっているのは、親御さんでしょう。だから、親方を責める以上に、今、自分を責めていると思います。子を持つ親として切ない。