■ [ゼミ]有能
私は何人もの教員の結婚式の司会者を務めました。その経験から言えば、教員は話し好きで、時間を守りません。
今回の越後『学び合い』の会では『学び合い』で学校作りしている4つの学校(そして我がゼミが教育実習でお世話になっている学校)の校長のパネルディスカッションがありました。予定表を見たら、「無理だ~・・」と思いました。だって、4人の校長とも、話し出したら面白い話が泉のように湧き出す方です。その4人の校長のパネルディスカッションの司会が学部学生なんです。
ですので、昨日は「無理!」を連発しました。ゼミ生からは「学習者を信じられないのですか?」と言われましたが、「だって~、絶対に無理だもん」を連発しました。
が、時間ぴったりです。4校長のご理解とご協力によって、成立しました。そして、学部生は見事に司会を務めました。
ということで私の完敗です。
あ、これから懇親会です。乾杯します。ちゃ、ちゃん
■ [嬉しい]ゲスト
しばらくすると越後 『学び合い』の会が始まります。久しぶりにOBに合いました。そのOBが「今日、明日、よろしくお願いします」と言われました。「え?」と最初思いました。そして嬉しくなりました。
おそらく対外的には越後 『学び合い』の会の主催者は私だと思われているでしょう。しかし、ゼミ生やOBの中では、彼らが主催者で、私はゲストなのです。そして、実態は、まさにそうです。
こんな喜びは 『学び合い』をしないと感じられない喜びだと思います。
■ [大事なこと]理想の教師
以前のこと、ゼミ生がニコニコして「あのゼミは、みんな○先生のようになりたいと思っている人のゼミ。うちは、“誰一人として”西川先生みたいになりたいとは思っていません」(誰一人の部分に力が入っていました)と言われたことがあります(http://p.tl/tzHp)。ニコニコして語っているのですから、悪い意味で言っているわけでは分かっているのですが、なんか嬉しいような悲しいような思いをしました。
とブログで愚痴ったら、翌日に別のゼミ生が「ゼミ生は西川先生を好きだし、なりたい部分もありますよ」と言われました。
どこが違うのだろう・・・・っと思っていました。それが心に残っていましたが、昨日のゼミ生のメモを読み疑問が氷解しました(http://p.tl/jn8T)。私は理想の教師ではなく、理想の校長・社長であり、ゼミ生がなりたいのは校長・社長ではなく教師なのです。だから「あのゼミは、みんな○先生のようになりたいと思っている人のゼミ。うちは、“誰一人として”西川先生みたいになりたいとは思っていません」と言われるのだと思います。
そりゃそうでしょうね。喋るのは「日本を変える」と繰り返す。本日と明日は上越で越後『学び合い』の会が開かれます。ゼミ生たちはその準備で忙しい中、そのそばで長いすに寝っ転がりながら馬鹿話を私はしています。毎月、日本中から教諭、校長、議員の人が自分たちの実践を参観しに来て、その人たちと飲み会をします。実習では二十代前半の学生が校長や教務主任の先生と相談する。そんなゼミを主催する私が理想の「教師」と思うわけないと思います。
でも、私とは同じでなくても良いけど、私と同質の教師になって欲しいと願います。
以前書いたことを書きます。
かなり前に、兵庫のKさんの小学校高学年の授業を見に行きました。素晴らしいものです。『学び合い』で育てられた子どもはKさんの自慢の教え子でしょう。授業の終わりに「西川先生、子どもたちに一言」と急にふられたのです。ビックリしましたが、以下のようなことを語りました。
「君たちの学ぶ姿は素晴らしいものです。感激しました。君らは『学び合い』がどんな授業であるかを知っています。でも、君らが受けている『学び合い』がやられているクラスはありまありません。君らの姿が、『学び合い』の素晴らしさを示すものです。君らは兵庫を変える、近畿を変える、日本を変えることが出来ます」
というようなことを2分間ぐらいかけて話したと思います。それを見ていたKさんは「西川先生のいつものほら話だな」と思ってニヤニヤしていました。その後、Kさん知らないうちに、子どもたちは相談したそうです。数日後、子どもたちがKさんにお願いに来ました。彼らは「僕らは兵庫や日本を変えたい。そのためには多くの先生方に僕たちのクラスを見て貰わなければならない。だから、先生にお願いだけど、もっと多くの人たちに僕らを見せて」と言ったそうです。その言葉と真剣さにKさんは、ハッとしたそうです。
小学生も尊い志を持つことは可能です。そしてそれによって健全な集団が出来るのです。例えば、私が「教員採用試験に合格し、教師になる」程度のことをゼミ生に求めたら、一人一人のエゴは暴走し、健全なゼミは出来ません。とてつもない志を語ることによって、それぞれのエゴは相対的に小さくなり、協働が成立します。
教師は足し算の繰り上がりの方法を教えられなくても良い、右と左のノの順番を分かってなくても良い。でも、クラスの誰よりも遠く先を見ていて、それと現実とを結ぶことが出来なければならない。結果として、クラスのみんなからは荒唐無稽な夢を、こともなげにニコニコ語れる教師にならなければならない。
『学び合い』における教師の姿は校長や社長です。クラスは職員室であり、職場です。子どもが教員であり、会社員です。その教員や会社員に、目指すべき方向を示し、ぶれないのが校長や社長の仕事です。その目指すものが素敵でとてつもないものであるべきです。校長や社長の職能とはドリームメーカーなのです。