お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2008-03-10

[]違い 16:04 違い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 違い - 西川純のメモ 違い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』と”学び合い”の違いに関して、超具体的な話(ある意味枝葉末節)と理念的な話(学校観・子ども観)の中間あたりのことを書こうと思います。

 まず、「学び合うことを求めるか?」です。一般の”学び合い”では求めます。なにしろ、それが目的ですから。そのために、様々なテクニックを開発します。一方、『学び合い』では学び合うことを求めません。意外かもしれませんが、求めません。たしかに初期段階では求めることがあるかもしれません。しかし、それは「学び合ってはいけない」という強い刷り込みが子どもたちにあるので、それを比較的短時間に呪縛を解くための方便にすぎません。それを言わないようにすることが望ましいと考えます。言い過ぎると、”学び合い”と同じに学び合うこと自体が目的になってしまいます。そして、うまく学び合っているふりをしはじめます。

 では、何を求めるかと言えば、全員が課題を達成することを求めます。私に関して言えば、私が管理者ではなくメンバーの一人としている集団(例えば、この学び合いグループ)においては「学び合おう」と時には言うかもしれません。それはクラスで子どもたちの一人が、その種の発言をするのと同じです。しかし、私が管理者である西川ゼミにおいては、「学び合え」と言いません。私が言うのは、「良い研究によって日本を変えろ!全員、一人残らず」です。

 次に求めるものです。”学び合い”はコミュニケーション能力の向上、とか、人間関係作りを目的としている場合は多いでしょう。また、ミニティーチャ的な考え方の”学び合い”では学力を目的としています。しかし、『学び合い』ではトータルなものを目的としています。例えば、業者テストの点数「も」人格の完成に関わると認める一方、そんなのは単なる方便だと拘りません。課題として子どもたちにとって抽象的になるのを避けるために、方便としてある一面にフォーカスを絞る場合があります。しかし、「みんな」という縛りがあるので健全性を保つことが出来ます。