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2008-04-23

[]契約成立 14:07 契約成立 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 契約成立 - 西川純のメモ 契約成立 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我がゼミの博士3年にK閣下がおられます。その方が、代休を利用して私のところに来ました。相談時間は10分程度です。結果として、論文3報を今年の5月の連休前(つまり5月2日の夜12時前)に仕上げることをお約束頂きました。そして、それが成り立たない場合は、かの有名な和倉温泉の加賀屋の豪華宿泊を贈るとのお約束です。なお、言い添えますと、私は「早くしなければ駄目だよね」とは言いましたが、「連休前」という期日指定をしませんでした。期日指定はK閣下がなされました。さらに言えば、私は「出来なかったら?」と聞いたら、自発的に「豪華宿泊」とおっしゃいました。そこで、「加賀屋でもいいよね?」と聞きましたら同意されました。

 以上のことを、お二人の准教授の前でなされました。M准教授は、昨年まで、いや、1時間前に私と同じような会話がなされているのを思い出され、引きつりながら笑っておいででした。

 最後に、「この約束をして、一番メリットのある人は誰?」とK閣下に聞きました。K閣下は「自分です」とのお答えです。私のプレッシャーはきついと言われます。でも、私のプレッシャーがきついのは、そうしたときに一番いいし、すべきだとご本人がよく分かっており、それ故、逃げたり誤魔化したり出来ないからきついのです。私がきついわけではありません。ふぉふぉふぉ

追伸 それ故、志のない方には、プレッシャーはかけません。

[]とても大事なこと 11:24 とても大事なこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - とても大事なこと - 西川純のメモ とても大事なこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から30年前に筑波大学に入学しました。その頃、先輩や同級生から「○○だけには絶対に入るなよ」と口々に言われました。噂によると、その宗教団体は夜な夜な学生宿舎を勧誘に回るそうです。そして、噂によると、その宗教団体には女性信者が多く、実にオープンに男女の交際(実際はもっと露骨な表現でしたが)が出来ると言うことでした。ということで、心の中では「勧誘が来ないかな~。綺麗なお姉さんかな~」と思っていました。ところが残念ながら勧誘に来ることがありませんでした。

 私の入学した学科は同級生が80人です。本当に多士済々で、キャラのスンゴク濃いメンバー揃いでした。しかし、濃いけど面白い奴らばかりでした。が、例外がいました。その子をA君としましょう。A君の学生宿舎の部屋は、私の部屋の一つ置いて隣の部屋でした。ところがA君を見かけたことは一度もありません。大学の講義・実験でも見かけることがあまりありません。我々同級生の中では「A君を見た」というだけで話題になり、「実験の時、A君と話したんだ」というだけで「お~」と驚きの声がユニゾンするレベルでした。ところが、大学でA君と発見すると、大抵、2、3人で話しています。なんと笑いながら話しているんです。その2、3人が誰だか分かりません。少なくとも我々の学科の同級生でも上級生でも下級生でもありません。A君はとても異質でした。後で判明したのですが、A君はその宗教団体の信者だったんです。おそらく、A君と笑いながら話している2、3人は同じ宗教団体だったのだと思います。結果として、私が「勧誘が来ないかな~。綺麗なお姉さんかな~」と願っていた、その宗教団体のイメージは非常に悪くなりました。そして、私も知り合いには「○○だけには絶対に入るなよ」と言うようになりました。

 教育の世界には星の数ほどの研修団体があります。会員1名というものから、定期刊行物を発行して莫大なお金が動くようなものまであります。現状の学校は同僚に対する教育力が低下しています。つまり、教員同士の『学び合い』が弱いと思います。多くの研修団体は、それを補完し、溺れそうになっている若い先生を救っていると思います。そのような研修団体がなければ、教師を辞めたり、最悪、死を選んだりした人は少なくなかった、いや、多かったと思います。そして、その会員であること言えば、「へ~、熱心なんだね~」と敬意を払われる会があります。ところが残念ながら、会員であること知られると「馬鹿、そんな会、やめろ」と先輩教師から言われる会もあります。私から見ると、後者の会も熱心な教師の会と見えるのですが・・・・

 どうして違いが生じるのだろう、と考えていました。その結果としてA君を思い出しました。おそらく、その会に入ることによって、学校という教師の本当の基本単位から離れてしまう人が多ければ、私の学科の同級生がA君は入っている宗教団体を見るような目で見るようになると思います。しかし、その会にはいることと学校への帰属が矛盾せず、学校にその知恵が還元されると認識されれば「へ~、熱心なんだね~」と敬意を払われる会になると思います。

 我々は学校とより一層関わるべきだと思います(馬鹿みたいに当たり前のことですよね)。もちろん、やたらに攻撃的な人と仲良くしようとしたり、分からせよう、なんて考えなくてもいいです。そりゃ無理だ。でも、折り合いを付けて付き合えばいいことです。学校の大多数の方々は敵でもないし、味方でもない。つまり理解してくれる可能性の高い方々です。集団は多く、多様であるとき、もっとも高い質の成果を、もっとも多く得られるというのが『学び合い』のテーゼです。

 以上、自戒のためにメモりました。