■ [嬉しい]学び合う学校、発進(その2)

学校として最初に『学び合い』に取り組まれたのはG県のY小学校です。その学校のO校長先生が昨年度末にご退職になられました。本日は、新校長先生と研修主任の先生がわざわざ上越においで頂きました。今年から准教授になったMさんとお迎えしました。2時間半、熱く、熱~く、語りました。私たちの思いは伝わったと思います。また、お二人の願いを受け止められたと思っています。これからが楽しみです。
■ [大事なこと]囚われ

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/janglejap/20080531/1212190263を読んで、ふと思い出したことがあります。
昨日、学卒院生さんが相談に来ました。話題は、運動会のかけっこで順位をつけるのは是か非か、という内容です。現職院生さんと話し合っても結論は出なかったとのことです。よくありますよね、手を繋いでゴールする、ってやつ。
私:何で、かけっこで順位をつけると問題?
学生さん:いつも遅い子が可愛そう
私:何で、可愛そう?だってかけっこが遅いと、その子の人生になんか問題がある?
学生さん:(首を振る)
私:じゃあ、何で可哀想だと思うの?
学生さん:無言
私:じゃあ、誰が可哀想だと思わせてるの?
学生さん:教師
私:教師が手を繋いでゴールするということをさせるのは何故?
学生さん:かけっこで遅い子が可愛そうだと思うから。
私:そうだよね。それじゃあ、問題の解決にならないよね。
私:じゃあ、教師がどうしたら、そんなこと無いよう出来る?
学生さん:無言
私:じゃあ、パン食い競争だったら、なんか、可哀想さが減るでしょ?何故だと思う?
学生さん:(不思議そうな顔になる)
私:そりゃ、かけっことパン食い競争を見る教師の見方の違いだよ。根本的な解決は、教師自身がかけっこにかりかりする必要性はないは無いよ。大事なのは、みんなで高まること、それに拘るべきだと思うよ。
今の教師は、色々な囚われにからめとられています。でも、その多くは馬鹿馬鹿しいものです。根本を疑うと、解決策が見えるものです。
追伸:最後にドイチェの競争と協同の話をしました。そして、クラス全員が一定時間を切ることを目標にすることの可能性を語りました。