■ [大事なこと]同志へ
ある教室の場面です。心優しき分かる子がいました。その子が分からない子に教えています。最初は、丁寧に何度も教えます。ところが何度教えても分かりません。何故分からないかを聞き出そうとしても、分からない子どもの言っていることが要領を得ません。それが続くとイライラします。もちろん、何度説明を聞いても分からない子にとってもイライラします。互いの心は見えるものです。そうなれば、互いにイライラが高じます。
さて、こんな状態になったら、分かる子はどうすべきなのでしょうか?この状態は分かる子が「その子」に拘るときに生じます。では、どうするか、拘らず、かつ見捨てずに、「その子」と距離を置くべきですね。そして、分からないからと言って「悪い」わけではないことを理解してもらうことです。そして、自分の説明が分かる子に理解してもらえばいいのです。自分の説明で分かった子が、自分の説明では分からない子に説明できる可能性があります。一番知っている者が、一番、分からせられると思いこむのは大きな誤りです。だれも悪い人がいないのに喧嘩かが生じるのは馬鹿馬鹿しいことです。
さて、上記のことは同志の方だったら馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことで、イロハのイですよね。それでは何故「同志へ」というタイトルをつけたのでしょうか?
「子ども」の部分を「教師」に置き換えてください。私が言わんとしていることは自明ですよね。
■ [大事なこと]高等編
上記の「同志へ」へ納得できない方への高等編です。社会は必ずしも『学び合い』ではありません。目標設定や評価がちゃんとなされていない場合があります。特定の個人が絶対権力を持っている場合があります。そうなれば、必ずしも『学び合い』のセオリーに従う分けではありません。
もし、上記が納得できないならば、覚悟を決めて、相手を攻撃してください。ありとあらゆる悪智恵を総動員して、相手を徹頭徹尾「潰して」ください。おそらく、数年はかかるはずです。いや、十年以上かかるかもしれません。毎日、詰め将棋みたいに、一つ一つ相手の弱点を探り、その弱点を拡大するような「一手」を指し続けます。一度やりはじめたら、例え後になってその人の人間性の良さを知っても、攻撃の手をゆるめてはいけません。相手と握手をしつつ、相手を潰すことを考え続けるのです。
さて、上記のことをリアルにやる覚悟がありますか?まあ無いでしょうね。私もそれを勧めます。人を攻撃すると言うことは、例え勝ったにせよ、我が身に降りかかる傷は避けられません。では、どうするか?
関わらないことです。距離を置きます。目立たなくします。そして、出来れば職場を変えることを勧めます。ただし、本当に何もしないと、自分が腐ります。自分の職場の中でのみ考えると閉塞しますが、自分の職場の外を見回しましょう。世の中には、自分の理解者はいるはずです。その人の目にとまるようなことをしましょう。子どものため、自分・自分の家族のために。
追伸 ただし、たいていの場合は「同志へ」の対応をすべきです。自分が「その人」に拘り、余裕を失っている可能性が高いです。日本の職場は、大抵はそこそこは健全ですからね。あははは