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2010-06-19

[]松本 19:19 松本 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 松本 - 西川純のメモ 松本 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が横浜で話しているとき、松本で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kan66/

[]最後の確認 18:12 最後の確認 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最後の確認 - 西川純のメモ 最後の確認 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある同志の不安に対してメモります。

 『学び合い』に対して反対する人、不安にしている人の原因の第一には「最後のまとめをしない」というものです。残念ながら、『学び合い』の同志の中でも、「最後のまとめ」が必要ではないか?と思われている方がいます。ま、いろいろな考えがあるでしょうが、私は不必要だと思っています。

 理由を説明します。

 それを必要とする理由としては、大きく5つあります。

 第一は、「出来ているか、いないかを確認する」です。これは効率が悪いなと思いますが、まあ、理解できます。しかし、多くの先生が、クラスの中の何人かを当てて答えさせるという方法をとっているのは頷けません。なぜなら、確認しているのは何人かにしか出来ません。ですので出来ているかいないかを確認するならば小テストをすべきでしょう。しかし、小テストを毎回行い、それを採点するなどは大変です。第一に、小テストぐらいで本当に分かったか否かは分かりません。それを確認するのには、対話が必要です。

 なお、『学び合い』でも最後の評価はします。でも、それは毎回しません。単元の終わりにやる本当のテストです。校長からある仕事を任されたとき、毎日、校長室で報告を求められ、アドバイスを受けたらどうなるでしょうか?効率は非常に悪くなりますし、いつのまにか校長に依存する心が生まれます。校長の仕事は、与えた仕事の意味をちゃんと語り、協力し合える集団を与えることだと私は思います。

 最後のまとめが必要だとする理由の第二は、「理解させる」です。しかし、これは馬鹿馬鹿しいと思います。5分程度の説明で理解することが可能ならば、それは最後にやるのではなく、最初にやるべきです。子どもの中には、おおよそ4種類の子どもがいます。それは「教師が教える前に、教師が教える程度のことは学習済みの子」、「教師が教えなくても、教師が教える程度のことは自分で教科書を読めば分かる子」、「教師の説明で分かる子」、「教師の説明でも分からない子」です。教師は、全て子どもにあった説明は出来ません。無意識に「中の下」にターゲットを絞った説明をします。このように説明すれば、最後のまとめが有効のは、「教師の説明が分かる子」の下位群と「教師の説明でも分からない子」の上位群の一部に過ぎないのは明白です。つまり、クラスの1割程度の子どもにしか有効ではないのです。多くの子は自分が分かっていることを繰り返されたり、分からない説明をもう一度繰り返されたりしている程度です。

 第三は、「間違った答えをそのままにしない」という理由です。しかし、それならば、教卓の上に答えを置けば良いだけのことです。そう書くと、答えを写すだけの子供が生まれるという言う方がいますが、そういう子は、どんな方法をしても「写し」ます。結局、写すのではなく、理解したいと思わせなければならないのです。答え合わせは、出来た、という瞬間にやった方が良いですよね。分かりもしない前に答えを提示されたり、問題を解き終わってしばらくしてから答えを提示されても有効ではないですよね。問題を解き終わった、ドキドキしているその時にやったほうが有効ですよね。ところが、一人一人の問題の解き方は違うし、時間も違う。だから、上記を実現するには、答えを教卓に置くという方法が有効です。

 第四は、「子供の多様な考えを共有」させるというものです。これは『学び合い』を実践されている方ならば、馬鹿馬鹿しいことはご了解いただけると思います。子供たちは、ずっと共有しています。ところが、教師がチョイスした他の児童の説明が、分かりやすいとは限らないのです。

 第五は、「学びを深める」です。まあ、ありかもしれません。でも、そういう方に「学びの深まりとは何ですか?」と聞いて、明確な応えをいただいたことは殆どありません。圧倒的大多数は分かったような、分からないようなことです。ちなみに私の専門である理科の場合は、「まあ分かります」が、同時に「こりゃ、理科好きの一部の子供にしかわからんだろうな~。圧倒的大多数は、教師のマスターベーションに付き合わされているんだろうな~」っと感じます。もちろん、名人教師はそれを乗り越えられるかもしれませんが、日本にいる100万人以上いる教師の圧倒的大多数は凡夫です。その凡夫が毎日、毎日、授業をしているのです。無理です。名人教師の名人授業でそれを実現しているように見せる場合はありますが、その名人教師だって毎日は無理です。

 いずれも、クラスの子供の一部には有効であるかもしれないことは否定しません。しかし、おそらく大多数の子供にとっては無効です。そして、いずれもクラスの下位層を無意識に見捨てています。言うまでもないことですが、我々の仕事は、指導要領に規定された最低限のことを「国民全員」に分からせることを求められているのです。名人教師が実現する、その教科特有のすばらしさを一部の子供に与え、それを授業で華々しく取り上げるのは研究授業が多すぎます。

 「最後のまとめ」をすれば、貴重な5分間を費やします。ところが、その最後の5分間が大事なのです。まさに、その時間に、従来型の授業では捨てられていた最後の2割の子どもが分かる時間です。そのような子は、分かるまで時間がかかります。さらに、『学び合い』が充実段階まで進んでいないと、相対的に教えられ始める時間が遅い。だから、最後の5分にドラマが起こります。

 では、従来型の方々が危惧する点を我々は意識していないのでしょうか?否です。でも、従来型の方々のように、教師がそれをやろうとは思いません。理由は、子ども集団の力を信じているからです。そして、自分自身の能力を過信していないからです。どう考えても、一人の教師が全ての子どもを対応できるわけではない。少なくとも私の志の根幹は「一人も見捨てない」で「よりよい授業」のような相対的なものではありません。では、『学び合い』ではどうするか、それは、上記を子どもに語り、子ども集団を育てるのです。

 つまり、「出来ているか、いないかを確認する教師」、「理解させることが出来る教師」、「間違った答えをそのままにしない教師」、「子供の多様な考えを共有できる教師」、「学びを深められる教師」を従来型では求めます。凄いな~っと思います。それを信じて、そうしなければならないと思う教師が際限のない努力と献身を求められる蟻地獄に引き込まれます。

 では、『学び合い』はどうするか「出来ているか、いないかを確認する子ども集団」、「理解させることが出来る子ども集団」、「間違った答えをそのままにしない子ども集団」、「子供の多様な考えを共有できる子ども集団」、「学びを深められる子ども集団」を求めるのです。

 が、従来型でやった方が良い場合が3つあります。

 第一は、『学び合い』を導入した初期段階です。この段階では「みんな」の意味が子どもは分かっていません。その分かっていない状態で、『学び合い』をやれば、当然、「出来ているか、いないかを確認できず」、「理解させることが出来ず」、「間違った答えをそのままにして」、「子供の多様な考えを共有出来ず」、「学びを深められない」ことになります。だから、初期段階は、毎時間ごとにチェックをして、学び合う意味を語らなければなりません。でも、ま、2~4週間で卒業できなければなりません。

 第二は、自分が不安でしょうがない。上記の理屈を理解しつつも、でも不安だと言うことはあります。バンジージャンプがいかに安全かは理解しつつ、数百メータの奈落に一歩を踏み出すのは勇気がいります。不安であることは恥じることではありません。不安であると、それは言動に表れます。言っていることとやっていることにブレが生じます。これでは子どもが混乱します。この場合は、子どもに自分が不安であることを率直に語り、従来指導型をすることもありです。これも、ま、2~4週間で卒業してください。

 第三は、世のしがらみです。これはしょうがない。分からない人は多いものです。いや、現状で分からないという方が普通の人です。ですので、この場合はまとめをやれば良い。大抵の場合、「理解」とか「共有」というものの本当の姿はお分かりになっていない。要は型とおりにやれば良いのです。それで理解が得られるのならば、お安いことです。

 長々と書きましたが、「最後のまとめ」についての私の考え方を書きました。最後に強調します。「最後のまとめ」をやる限りは、捨てている子どもがいると言うことです。理屈は簡単です。限られた時間を、もっと限れば、救われない子どもは増えるということです。もちろん、そうしない教師はいるかもしれませんが、それを日本中にいる100万人以上の教師に求めても無理です。

 なお、上記の詳細は、HPに公開している「従来指導型『学び合い』の手引き」に書いております。はい。

[]お誘いします。 07:39 お誘いします。 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お誘いします。 - 西川純のメモ お誘いします。 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 6月26日に上教大で気楽な定例会を始めます。(http://bit.ly/bFQ46J)当日は上教大附属小学校の公開授業日です。私も午前中は親ばかで参加します。お誘いします。堅苦しくなくて、お菓子持ちよりのゴチャゴチャした会をしたいと思います。

 7月3日に横浜で講演します。楽しいですよ。お誘いします。http://bit.ly/bdy9UN

[]実況中継 07:33 実況中継 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 実況中継 - 西川純のメモ 実況中継 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、実験的に西川ゼミの全体ゼミの様子を実況中継しました(http://bit.ly/ctB4Kw)。こんなことが出来る時代なんですね。子どもの個人情報も飛び交うゼミなので、とりあえず音声無しです。

 でも、それでも分かるものはあると思います。普通のゼミの場合は、指導教員が真ん中に座り、ゼミ生がそれを取り囲みます。発言は1度に一人です。そして、主に指導教員とゼミ生との会話が中心となります。が、我がゼミは全然違います。

 第一に、指導教員は殆どいません。いる場合は長いすで寝ています。寝ながら「音」を聞いています。「音」を聞けば、ゼミが良い状態なのか、そうでないのかは分かります(これって『学び合い』の実践者ならわかるよね)。良い状態の「音」は心地よいので、本当に寝てしまいます。また、我がゼミではローカルな会話がいっぱいあります。つまり、集団にメインの会話が一つだけではなく、一般には「私語」と呼ばれる近くの人同士の会話が盛んに交わされています。また、周期的に爆笑が起こります。つまり、K閣下が発見された、課題に戻る会話で構成されています。その当たりは、音声なしでも分かると思います。

 当日は、福岡、東京、長崎からいらっしゃった洗脳旅行様も参加しました。直ぐに馴染み、心地よかったと思います。だって、これは本当に自然な全員に課題に向かっている集団の姿ですから。