■ [大事なこと]信じるものは救われる
マルコによる福音書には「信じるものは救われる」とあります。マタイによる福音書には「求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、叩けよ、さらば開かれん」あります。
私も子ども「たち」を信じましょう、と言います。理由はあります。第一は、子ども達を信じて解決できるかどうかは分かりませんが、教師一人で背負うよりは可能性は高くなると思います。第二は、「求めなければ、与えられない、尋ねなければ、さらば見出せません、叩かなければ、さらば開かれません」ということです。だったら、求めて、尋ねて、叩いたほうが良いと思います。とても単純な理屈です。
そして、『学び合い』において子どもは、信じて応えてくれました。その成功経験の積み上げに基づくものです。
■ [嬉しい]失敗する理由
『学び合い』を失敗する理由は、自分の頭で考えることを放棄することです。私の例示する『学び合い』も、本日の実践発表の事例も、自分の頭で考えることを放棄し、そのままやれば失敗する可能性は高いと思います。自分の頭で考え、自分でアレンジする必要があります。日々の実践は影であり、本体は考え方なのですから。
『学び合い』を失敗する理由の次は、自分でつまずいたとき人の知恵を利用しないことです。その結果は、考えることを放棄してしまいます。ただし、知恵を利用しつつも、自分は自分なのですから。
結局、教師の職能は以下の三つです(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20090107/1231314627)。
1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。
2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」に聞けばいい。
3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。
ただし、現状において『学び合い』を実践しつつけるには、志が必要で、ネットワークが必要です。横と同じことをしているわけではないので。
追伸 本日のお二人の例示は、私より遙かに多くの人に伝わる内容だと思いました。
■ [嬉しい]本日
本学の新潟サテライトにて、午前中は『学び合い』の新潟の会、午後は教職大学院の連続講座がありました。学ぶことは多かったと思います。
第一に、私の語りより、現場実践の方の方が素晴らしいと感じました。峰本さん(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/beulah/)の実践報告では、国語という教科における『学び合い』の姿を具体的に示していました。大島さん(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/t-oshima/)の実践報告では、『学び合い』の成果と同時に迷いが報告されていました。とても良かった。お二人の語りを聞きながら、誤解を生じがちな私の語りに自己嫌悪します。といいつつも、午後には元気いっぱいに講演しました。その際、誤解が生じかねない部分の指摘を聴衆の方から頂き、感謝に堪えません。
技術的にも面白い発見がありました。本日の午前午後の講演はインターネットで公開していました。これほどのことが出来るとは知らず、私のブログでも紹介していなかったことを失敗したと思いました。もう一つは、久保田さんの講演ではスカイプを使った講演の姿を示していました。あれが安定して使えるならば、私が遠方に出張しなくてもいいのではないかと思いました。
あと、本日の行きと帰り、ゼミ生と面白い時間を過ごせました。内容は、刺激的すぎて言えません。あはははは