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2009-06-28

[]嬉しい 22:29 嬉しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嬉しい - 西川純のメモ 嬉しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』では教えすぎるな、と主張します。そうなると冷たいと言われます。心外です。

 私は教え子が可愛い!未熟な私を信じてくれて、頼ってくれる。心の底から可愛い!高校教師の時は、ダッコをしました。高い高いをしました。ほおずりをしました。猫かわいがりをしました。とにかく、可愛いのです。暴走族や不良なんかは、敵でないと分かれば、無茶苦茶に私に甘えます。素直に可愛い。

 でも、失敗しました。可愛がりすぎれば、子どもは教師にべったりします。そうなれば、可愛がり方に軽重が出来ます。これは高校教師の時から意識できました。でも、中々分からなかったのは、みんながみんな私に向いて、それが、みんなの関係を阻害することです。

 27歳で大学に異動すると、指導する現職院生さんは私より年上です。でも、それでも私は可愛いと感じます。10年もたてば、現職院生さんは私より年下です。もちろん、可愛い。二十歳程度の学部学生さんはもちろん、もちろん、可愛い。

 私は常にゼミ生には多くを求めてきた。おそらく怖いぞ、恐ろしいぞと言われていたのにも関わらず、私を選んでくれたゼミ生は格別嬉しい。さすがに、大学生なので我慢していますが、心の中では高校教師の時のように、ダッコしたいし、高い高いしたいし、頬ずりをしたい。

 でも、『学び合い』では教えるな、ということを自分に強います。でもね、教えなければ良いんです。期待することはOKなんです。

可愛がって良いんです。子ども同士のネットワークを阻害する危険性を意識していれば良いんです。からかって、じゃれたってOKなんです。いや、『学び合い』の方が、普通の教師以上に子どもを可愛がれます!

 なかなか理解してもらえませんが、私は『学び合い』を強いません。強いること自体が『学び合い』の考えに反します。もちろんゼミ生にも同様です。だから、『学び合い』の素晴らしさを伝えたとしても、それを強いません。彼ら、彼女らの置かれた状況で、正しい判断を出来るのは私ではなく、彼ら、彼女らですから。

 可愛い、可愛い、教え子の一人が自らの意志でネットワークに入ってきました。嬉しい。

 『学び合い』で一番大変なのは、「やりはじめること」です。次の山は、失敗してもやりつづけ、そして、「人に聞くこと」です。彼は、二つの山を越えました。

追伸 今、私はゼミ生以外に、可愛いと感じる同志をいっぱいます。教師冥利・研究者冥利です。

[]誇りに思います 18:37 誇りに思います - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誇りに思います - 西川純のメモ 誇りに思います - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は人を志で評価します。

 人の能力なんて、そんなに違いがない、それは私の実感です。私は純粋無垢のオール1の子ども達がわんさかいる学校にいました。その中には本当に知的に障害のある子がいました。そうではなくとも、会話をすると知的能力が低いなと感じる子はいます。しかし、大多数の子どもと会話して違和感を感じることは殆どありません。勉強に関するジャンルの会話をすると違和感を感じたとしても、その他の会話をする限りは頭の回転の速さを感じたり、ウイットを感じます。純粋無垢のオール1の子たちでさえもそうだという私の原体験は、人の能力なんて、そんなに違いがない、という私の確信を基礎づけています。

 同時に、何かの仕事をすると、そのパフォーマンスに関しては天と地ほどの差があることを知っています。一緒に仕事をすると、「どうして、ここまで無能な人間が世の中に生息しているのだろう」と感じる、大卒の人間は山ほどいます。

 結局、人間をコンピュータに置き換えるとしたら、CPUやメモリーや外部記憶装置等の基本的なハードウエアーには差がないが、ソフトには天と地ほどの差があると考えています。例えば、人よりも遙かに仕事は早いし、質も高いと自負しています。でもそれは私が頭が良いからではなく、仕事のこなし方を知っているからにすぎません。それも秘伝といえるほど複雑なものではなく、ごくごく単純な当たり前のことをしているだけのことです。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20090503/1241357484

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060223/1140679791

他の人も、そのレベルだと私は思っています。

 だから、私は人を、特に若い人を、その時点の能力で評価しないようにしています。いくらでもソフトはインストールできるわけですから。では、どこで評価するか、それが志です。新たなソフトをインストールをするのは大変です。でも、それをやり続けるには志が必要です。また、多様なソフトを得るためには、多様な人と繋がらなければなりません。その多様な人と繋がるには、志が必要です。だって、自分の利害しか考えられない人と繋がるような奇特な人はいませんから。例えば、自分の採用試験合格のみ、自分の授業力アップのみしか見えない人は、繋がれる人は、せいぜい同じ学校の先生ぐらいですね。

 本日、ゼミ生をからかった後(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/cyoriso/20090628/1246176960)、色々と話しました。その中で、高い志を感じました。私は高い志を持つ学生には、高い課題を与えます。その課題は、普通から言えば無茶苦茶に困難な課題です。しかし、私は無茶苦茶とは思いません。我がゼミが蓄積した方法論と全国に広がるネットワークを利用すれば、やろうと思うならば実現可能なことを述べています。そして、その課題を越えたとたんに、こともなげに次の課題が現れます。それを乗り越えると・・・。その結果、無茶苦茶な成長があります。

 が、それを成り立たせる基礎は志です。ゼミ生にその志を感じ、それを誇らしく思います。

追伸 これが長い前振りのある、プレッシャーであることはおわかりですよね。ふぉふぉふぉ