■ [大事なこと]川藤先生
どの世代も、理想の教師像を描いたドラマがあります。それらはいつも同じです。ルーキーズは私が小学校・中学校に放映された「我ら青春」に繋がる一連のドラマと一緒です。本当に同じです。あれを見て、子どもも教師も涙します。私も涙します。
でも、私は知っています。一話完結で終わらない問題が多いこと。ドラマで人気俳優が演じない役の子どもにも、人生があることを。(例えば野球部以外の生徒にも人生があります)みんなみんな教師を慕い、それでいいと思いこむ子どもと、そして、それを教師の醍醐味と思う教師。でも、そんな教師を大好きになる子どもがいる一方、大嫌いな子どももいる。みんなが教師を向くと、子ども同士が教師の歓心を争うライバルになる。
あんなドラマで強くなれるチームを作れるのは、どんどん才能のある子どもが入部して、どんどん切れるチームだけ。普通の公立学校で優勝をねらえるチームを作るためには、違った教師が必要です。
あのドラマで間違った教師像を持って教師になり、子どもの協働を阻害し、自らは家庭を顧みない「理想?」の教師になることを強いる。
あれもやった、俺はこれも出来る・・・それを誇る教師がいます。でも、な~んもしない、俺はこんなことも出来ない・・・そういいつつも高い成果を上げる教師がいます。どちらが教師の力量があるでしょうか?私は後者だと思います。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20030321/1172994735
追伸 これを書きながら、多くの良き教師から嫌われるであろう事を分かっていて、書かねばならない業を呪います。はやく良い人の役回りになりたい。他の人が、やってくれれば、そうなれるのに。
■ [嬉しい]ミーハー
ネットサーフィンをしていたら、野中信行先生のブログに私の小文の紹介があった(http://nonobu.way-nifty.com/blog/2009/07/post-5819.html)とても嬉しかった。
野中先生といえば、私の人物カテゴリ-においては「大西忠治、大村はま、斎藤喜博」に広義では入ってしまう先生である。(おそらく、わたしゃそんな年ではないよとおしかりを頂くかも知れませんが・・・)その先生から賛同されると、猫がのどをなでられたように「ゴロゴロ」のしたい気持ちである。その単純さに自分でも呆れてしまう。
今までにも、本で読んでいた尊敬する実践者である方々からブログで紹介していただく機会を得た、ただ、その多くは私とほぼおない年か、若い方々である。日本の古くからの伝統である、長幼の序による「お世辞」も幾分かはあると割り引きます。しかし、野中先生から世辞を頂く、理由は何もありません。
年長者からのお褒めの言葉・同意の言葉というのは、若年者にとって魔法のエネルギーがあります。それは異学年学習の研究でも既に知っていることです。しかし、我が身に振り返って、改めて実感しました。