■ [う~ん]私の特徴
コニーのブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ybhdv7/20090830/1251651259)を読んでいたら、「QAで質問。(過激な発言をするおすぎさん、西川先生対策部屋があれば(笑))」というのがありました。大笑いです。
「でも~・・」と言う気持ちが起こりました。過激な発言をする私の特徴を自己分析しました。大凡、「ネットワーク」、「シンプル」、「非『学び合い』」の三つあると思います。
第一に、「ネットワーク」です。おそらく、日本中の『学び合い』実践者のネットワークに関して、私ほど異質で多くの人と繋がっている人はいないと自負しています。まあ、一日の長というやつです。
第二に、「シンプル」です。私が理系的な人間であり、大学の生物物理学でトレーニングされたためだと思いますが、複雑な現象をシンプルに理解するという「癖」があります。この特技は非常に得です。例えば、私は数千レベルの会員を擁する学会の全国大会を何度も事務局長として務めました。これは非常に複雑で大変です。しかし、その仕事をシンプルに整理し、基礎的なルールを定めるとかなり楽になります。学会の編集委員会の仕事も、ゴチャゴチャした部分を整理するとかなり楽になります。私はゴチャゴチャとしたことに興味があるものの、ゴチャゴチャしたことにエネルギーをとられるのが大嫌いです。だから、とにかくシンプルにしたがります。
第三に、「非『学び合い』」です。『学び合い』ではホモサピエンスは人と関わりたがるし、関わる能力を持っていると仮定しています。しかし、多くはありませんが例外もあります。実は、私はその例外です。長年のトレーニングによって何とかこなしていますが、本質的に私は人と協調するのが不得意です。なにしろ、小中学校で「友達」と言えるような人は皆無でした。高校でやっと一人だけいました。それも、私がその人を気に入ったと言うより、少なくとも最初は、その人が一方的に私を「何故か」友達にしたいと思ったので関係が結べました。
この三つの特徴は特長ともなり、欠点ともなります。
私の発言が過激になる理由は、以下の通りです。ネットワークが広いために、本来関わらなくても良いところに関わり、首をつっこみます。物事をシンプルに見るため、人と物の見方が異なってしまいます。たいていの人の場合は、現状を出発点として現実を解釈します。ところが、私の場合は現状を一回捨てて、『学び合い』のシンプルな考え方によって分析し、それを現実で肉付けします。そのため、一般の方からは過激と受け取られます。ただし、その理由を説明すれば、たいていの場合私の方の理屈は正しい。ただし、正しいと納得とは別です。そして、対人関係の欠如から、時に、それをシャープに言ってしまうということをやらかしてしまいます。
そして、落ち込みます。
しかし、一方、それと同じ理由が私の特長であり、武器です。
ネットワークは力です。私にはメール一つで、かなり大変なことを頼める方が全国に数百人以上います。その方々の力を借りられるから、今の仕事をこなせます。
常識的な指導法だったら、穏やかな『学び合い』だったら、百年たっても学校現場で苦労されている方に勝てるわけありません。しかし、常識・穏やかという鎖を解き放っていけるから、別な視点に立てるのです。だって、現在、『学び合い』の実践者がごく普通にやっていることの多くは、最初は西川ゼミで院生さん・学生さんと私との議論から発しています。そして、殆どは「脳天気な大学の先生だから、そんな無理なことが出来ると思っているんだよ」という礼儀的な軽蔑の視線を受けるか、「え!?何を言っているの?」というあっけにとられた目が点の視線を受けるかでした。
お酒の杜氏は飲み助にはなれないそうです。飲み助は、お酒の味や香りに敏感になることができません。それと同じで、『学び合い』が不得意な私なので、人には感じられない「赤信号」の点滅を直感することが出来ます。
ということで、私の戦略は、基本的に関われる人としか関わらないという戦略です。私は求められた人とは繋がりますが、求めて繋がろうとはしません。そして、その人を通じて、他の人と繋がるということをやっています。例外は、全国でやっている講演と、ゼミ生以外に対する授業です。それを通じて、過激と判断されてしまいます。同志にとっては、私の過激さは「面白い」かもしれませんが、小心な私は悩んでいるんです。
う~ん
追伸 黙っているだけで、全てを善意に解釈される人が私のあこがれです。あと少しで50歳なのですから、もっと、気品と風格がただよったらいいのにな~