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2009-09-19

[]加筆 06:34 加筆 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 加筆 - 西川純のメモ 加筆 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の良さを語ると、「何故、そんなに良いものが今まで無かったのですか?」と言われます。そう聞かれれば、実は近代の学校以外は200万年前から一貫として『学び合い』であったことを説明します。そして、近代の身分制度の崩壊と学校制度との関係を説明します。その詳細は、手引き書の完全版に書いています。

 本日、そこに加筆の文章を作成しました。週明けにはアップしたいと思います。が、とりあえず、ここにアップしたいと思います。

 『学び合い』を受け入れられる社会的環境は、今から二三十年前には整っていたと思います。しかし、何故今、『学び合い』が生まれ、広がったかには理由があります。

 『学び合い』を受け入れられる環境は1980年代、1990年代頃からは可能になっていたと思います。現在ほどではありませんが、塾・予備校に行く子どもはかなりいました。テレビでも良質な情報を流していました。また、良質な参考書は本屋にあふれていました。大卒の保護者も多くなりました。では、何故、1980年代、1990年代ではないのでしょうか?だから、クラスの中には既に分かっている子が2割程度はいました。だから、『学び合い』をやろうと思えば、出来たはずです。それが今、生まれ、広がった理由は、おそらく、保護者の変化が大きいと思います。私の時代は、保護者は戦前や戦前の影響が色濃く残った教育で育った人たちです。それ故、教師が子どもを殴ったとしても「愛の鞭」と考える人たちでした。(私もよく殴られましたが、それをそういうもんだと考えていましたし、親に言っても、お前が悪いのだといわれたと思います)よほどのことがなければ、学校に怒鳴り込むということはありません。ところが、今の親はどうでしょうか?戦後教育で育てられた人に育てられた人たちです。自分の子どもが学力保証が成されていないとクレームを言います。自分の子どもが安心できる環境を保証しないとクレームを言います。それが行きすぎた人をモンスターペアレンツと呼ぶ場合がありますが、親としての心情としては理解し得る場合もあります。そして、問題があれば納得するまで教師・学校に問い合わせ、求める親は多くなっています。

 従来型の授業では、必ず1、2割の子どもは、かなり厳しい状態におかれています。昔だったらクレームを言われなくて気にせずにいたのが、今はクレームを言われるようになったのです。行政もそれに対応して、クレームを言われないような自己防衛をし始めます。具体的には、「やっています」と証明するためのマニュアルや報告書を作成します。結果として、教師は書類作成に追われ疲れるようになります。そうなれば、保護者からのクレームに対応できる心の余裕が無くなってもしょうがありません。

 さらにそれに追い打ちしたのは、学校の教師教育に対する教育力の低下です。十数年前から、少子化の対策として急激に採用を減らしました。ところが最近になって、少人数対策と大量退職に対応するため急激に採用を増やしています。結果として、教職員の年齢分布はフタコブラクダのような分布になっています。

 さらに、交通の便利な学校の場合は、異動したがらず、結果としてベテランが多い学校になります。不便なところは新規採用者で補充するため、若手が多い学校になります。結果としてヒトコブラクダのような年齢バランスになります。

 年齢分布がフタコブラクダのような職場では、ベテランが若手を教えることになります。しかし、教え込むという形になり、若手にとっては抑圧されたという印象を持ちます。結果として、煙たがります。一生懸命に教えたのに煙たがられたベテランは「今の若い奴らは」となります。年齢分布がヒトコブラクダのような職場では、最初は仲が良いのですが、似たようなもの同士の「突っ張り合い」がおこり問題が起こると人格否定まで進む危険性があります。結果として、相互不可侵で落ち着きます。

 私が教師だった二十年以上前には、職員室の横にはお茶飲み場があり、色々の話が出来る場所があったと思います。私の職場だった高校では、新任教員である私を飲みに連れて行って奢ってくれた先輩教師がいっぱいいました。今はどうでしょうか?ベテランの先生は「今の若い奴らはつきあいが悪い」と愚痴を言います。でもしょうがありません、飲みに行ってもつまらないのですから、付き合わないのです。私は週に1回以上は先輩と飲みに行きました。理由は楽しいからです。しかし、それは個々人の問題ではなく、年齢バランスの問題なのです。

 現在、指導能力不足で分限を受けている教師は、新任ではなく四十代の教師です。つまり、二十年以上教師をしていた人たちです。しかし、二十年使えた自分の指導が使えなくなり、改善できずに潰れていってしまったのです。使えた指導が使えなくなるのは当然です。子どもが変わり、保護者が変わっているからです。しかし、それ以上に変わっているのは自分なのですが、自分の年齢は自分では分からないものです。四十代になっても、頭の中は二十代のまんまということは普通です(私もそうでした)。しかし、子どもの前に立ったとき、子どもが教師に期待することは二十代前半の教師と四十代の教師とでは異なります。ところが、自分の年齢が分からないため、その切り替えが出来なくなります。しかし、若い教師と付き合えば自分の年齢が分かります。人間は関係の生物です。若い教師と付き合うことによって、中堅の振る舞いをするようになり、ベテランの振る舞いをするようになります。そして、若い教師に教えている中で、自分が学んでいくのです。ところが、そのようなことが出来ないと、昔のままの指導を続けることになり、結果として指導力不足になってしまいます。

 以上のような結果、自分に限界を感じている教師が増えました。

今までのことを捨てて、新しいことに取り組むというのは大変な決意が入ります。特に、いままででも「そこそこ」出来る場合は、ずるずるとなってしまう場合は少なくありません。考えて下さい。携帯電話の会社を変えたり、機械の会社を変えたりするのは難儀ですよね。ましてや授業を変えるのは大変なことです。

 本屋に並ぶ本の圧倒的大多数はテクニックです。それらは自分を変えなくても使えるものばかりです。まあ、今までの携帯に周辺機器やアプリを導入して機能充実を図るようなものです。ところが『学び合い』は考えを変えることを求めています。これは、携帯会社や別会社の機種に乗り換えるのと同じようなものです。嫌がるのは当然です。

 ところが、今、まさに、そうしないとどうにもしようがなくなっている時代になり、そして、今後はもっとどうしようもない時代になります。それが、今、『学び合い』が急激に広がっている理由です。