■ [大事なこと]守破離
守破離という言葉があります。あることを学ぶ段階です。守はまずあることの基本を学ぶ段階で、その基本を正確に行います。基本は先人が積み上げたものであり、ある意味、最も安全な道です。基本を学ぶ前に、自分なりにアレンジを加えることは、危険な道とも言えます。私が学校レベルのサポートをする時、「我校独自の『学び合い』」と称するものを新しい先生に伝える学校があります。その学校の判断なのですから、敢えて言いませんが、心の中では「危ういな~」と思います。そして、半数以上は、思った通りになります。
破の段階とは、守の段階ので基本では、覆いきれないことが起こり、それがために基本を破る段階です。そりゃ、そーです。おかれている環境は千差万別です。基本では覆いきれません。ただし、『学び合い』の場合、基本の方法では覆いきれませんが、基本の考えは常に正しいと思います。だから、基本の考えに基づき、基本の方法を破らなければなりません。私から見ていると、この基本の方法と基本の考えの違いが曖昧で、方法のレベルで考え方の異質なものを取り入れてみようとしている段階が「破」の段階です。
しかし、もし、基本の考えで、基本の方法を破るようになれば「離」の段階だと思います。つまり、破ろう、破ろうという気持ちから離れて、基本の考えに基づいて方法を融通無碍に変えられる段階が「離」です。基本の考えは方法に対して明確な指針を与えますが、自由度が高いものです。政治的にも「したたか」になれます。離の段階で離れるのは「破ろうとする己の心」です。そんなことを気にならなくなるのです。気にはならなくても、己の中に、学んだものが残るのです。