■ [大事なこと]階層意識
100m競走で手を繋いでゴールさせる学校があるそうです。理由は子どもの間に階層意識を持たせないためだそうです。馬鹿馬鹿しいと思います。手を繋いでゴールしても、子どもは誰が早いか、誰が遅いかを知っています。では、どうすればいいのでしょうか?
もし、100m競走でなく、そばの早食い競争だったら、子どもは階層意識は持ちません。では、100m競走で階層が生じ、そばの早くい競争で階層意識が生じないのは何故でしょうか?分かりやすい問いかけに帰れば、誰が、子どもにそう思わせているのでしょうか?
教師です。教師が100m競走の順位が大事だと思い、そばの早食いは大事ではないと思っているからです。しかし、そもそも100m競走の順位で階層意識が生じるのは何故でしょうか?
私は50歳ですが、おそらく高校卒業以来、誰かと競争して走ったことは一度もありません。つまり、100m競走の早さは大人になってからそれほど重要ではないのです。
そう考えれば、100m競走で階層意識を生じさせないためには、一緒にゴールさせることではなく、教師が100m競走が絶対的な価値を持つものではないと理解することです。そして、そのことをごく当然のように語れることが大事です。
習熟度別指導において、「ぐんぐんコース」、「じっくりコース」とネーミングするのは何故でしょう?教師がテストの点数が高いことが偉いことで、低いことが駄目だと思っているからです。そんなことを思っている限りは、どんなネーミングをしても階層意識は生まれます。さらに、そんな姑息な真似をすれば、教師の鼎の軽重が問われます。
『学び合い』の考え方から言って、習熟度別指導は限りなく馬鹿馬鹿しいと思います。が、どうしてもしなければならないとしたら、「数学得意コース」、「数学不得意コース」と直裁に名付けるべきです。そして、教師が、数学の出来不出来が人の価値とは無関係であることを理解し、語れなければならないと思います。
だから、習熟度別指導の問題の第一は、姑息なネーミングにあると思っています。