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2010-05-04

[]分析 19:27 分析 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 分析 - 西川純のメモ 分析 - 西川純のメモ のブックマークコメント

今から25年間。教育学の世界では統計分析は無縁の世界でした。その時、大型コンピュータを駆使し、一部はフォートランでプログラムを組んで分析しました。中には林の数量化理論の第三類までも駆使しました。39歳の時には、量的分析の単著まで書きました。

が、今では統計分析はほとんど使いません。使っても直接確率計算程度。理由は、高度な分析を行っても、それを教育実践に還元できないからです。だって、分析結果を現場の先生に説明しても分からないですから。

 因子分析を分かるためには、少なくとも線形代数の固有値空間を理解できなければ意味が分からない。ところが、小中高の先生の中で、それを学んだ人はごく僅か。さらに、それを学校現場で学ぶ余裕のある先生はほぼ皆無でしょう。

 現場の先生方に理解してもらわなければ、それらを教育実践に還元できない。さらに、『学び合い』の場合は、子どもが理解しなければ教育実践に還元できない。当たり前のことです。現在、ある学会の学会誌の編集委員長です。その学会の論文を読みながら、上記を思い浮かべる論文もあります。

[]経営学 19:27 経営学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 経営学 - 西川純のメモ 経営学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は経営学そのものだと思います。だから私は教育経営学の本より、圧倒的に経営学の本を読みます。その中で大好きなのはドラッカーとリッカートです。最近の研究はちょっと細かすぎるという印象を持ちます。

 例えば、教育学研究の中には、教師の視線や教師の一言を詳細に分析する研究もあります。が、そんなこと分かったとしても、それを意識しながら授業するなんて無理です。それと同じです。学ぶべきは、仕草や言葉ではありません。

また、「感動させる訓話集」でもありません。それらは状況に高度に依存します。状況を理解せず、それをなぞっても意味がありません。結局、学ぶべきはシンプルな理念だとお思います。

ただ、理念、理念と念仏のように語っても意味ありません。その理念が具体的にどのような一言や仕草になり、それがフォロワーにどのように影響を与えるのかを実証的に明らかにする必要があります。

その意味で、学校は素晴らしい経営学の研究フィールドだと思います。だって、メンバー全員にICレコーダーを装着し、その場を複数台のビデオで数ヶ月以上記録する。こんな研究の場を与えられている経営学研究者がいるでしょうか?

だから、『学び合い』は経営学研究においても意味を持つと確信しています。もちろん、経営にもです。あははは

[]管理職 19:27 管理職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理職 - 西川純のメモ 管理職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この十年以上、暖めてきた研究にやっと着手することが出来ます。それは管理職によって職場はどう変わるかという研究です。もともとの発端は、平成十二年に卒業させた学生の卒研です。その研究では「好かれる先生はどんな先生か?」です。その当時は、『学び合い』研究も始まったばかりで、私の中には従来指導型の残滓がいっぱいついていました。当時の私は自分の話術や教材の力量を誇る気持ちがありました。そして、『学び合い』においてもそれが必要だと考えていました。だから、「好かれる先生」を調査すれば、「面白い先生」や「授業の分かりやすい先生」が大部分を占めていると思っていました。ところが、結果は全く違うものでした。「面白い」や「分かりやすい」は好かれる条件とはあまり関係しません。好かれる先生には「面白くない先生」や「授業が分からない先生」がたくさんいたのです。最初はびっくりしましたが、『学び合い』研究の成果を教師に置き換えるならばそれも理解できることが分かりました。

 平成17年には優秀な成績を上げている部活の顧問の研究、そして好かれる校長の研究を行いました。いずれも『学び合い』が示すところと同じです。そして、それはリッカートの研究の示すところと重なるものでした。

 私は現場の先生方と色々語ります。その中で、校長が変わると3日で職場が変わるということを何度も聞きました。私は高校で仕えた校長は一人だけです。大学に異動してからの直属のボスは23年間、二人です。そのうち一人は23年間、ずっとです。私は上司に恵まれており、いままで一度たりとも上司の悪口を公私ともに言ったことは一度もありません(とHPにおいでも公開できる!)。ということで、校長が変わると職場が変わるというのがすぐにイメージできないのです。だから、それを明らかにしたいと思っていました。

 研究計画のポイントは、データです。私は、給食の人、用務の人をターゲットにしたいと思っています。なぜなら、そのような方々は学校に居ついています。だから、同じ学校でどのような変化が起こるのか岡目八目で見ているはずです。ゼミの皆さんからは、保護者や学校出入りの業者に聞けばいいとのアイデアもあります。

 ね、面白いでしょ。こんな研究を今まで手をつけられなかったのは、それを任せるゼミ生がいなかったからです。というのは、上記の研究をするのは学卒院生ではちょいと難しいと思っています。学校の状況がよく分かっていないと、限られた時間のインタビューで必要な情報を引き出しきれないからです。しかし、一方、現職派遣の院生では無理です。だって、大学院から学校現場に戻ったと時、校長から「大学院では何を研究した?」と聞かれたとき「校長の研究」とは言えないです。だって、そうすれば「どんな研究?」と聞かれます。それを説明すれば校長批判となりかねない。そんな危険な研究に手を染める現職院生はいませんし、いたとしても私は止めます。

 今年、それが出来るゼミ生が入ってきました。ワクワクします。

[]そこそこの意味 18:59 そこそこの意味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - そこそこの意味 - 西川純のメモ そこそこの意味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、「『学び合い』研究をやり始めてびっくりしたのは、教師はそれほど子どもを分からせたいとは思っていないという事実です。そこそこが出来れば、それ以上 を望みません。」と書いたところ、そんなことはないとのレスをいただきました。とても大事なレスなのでここで書きます。

 まず、私は個々人の教師を非難するつもりはありません。それは『学び合い』の作法ではありません。しかし、事実です。そして、それは教師であればすぐに確認できます。職場の同僚の机を見たり、その人の話をすれば以下のことは分かるはずです。

 同僚の中で、授業改善のために年間で5冊以上の本を身銭で買った人はどれだけでしょうか?悉皆研修・動員研修ではない、土日の半日の研修に3回以上参加した人はどれだけでしょうか?

 職場において集団力学の中で献身的な行動をする教師は多いと思います。おそらく日本の教師の殆どです。しかし、自分自身の完全な自由意志で年間に1万円の身銭を切れる教師、年間で8時間の土日の時間を費やせる教師がどれだけいるでしょうか?

 もし、ご自身の職場がそのような教師であふれているならば、それは幸せなことです。しかし、一般は違います。だから、どんどん教育書の会社が経営が苦しくなっています。参加者が5人の程度の自由研修の会が溢れています。

 私の指摘は間違っていますでしょうか?

追伸 これは学校ばかりではなく、日本の職場の多くで見られることだと思います。