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2013-09-27

[]岡方第一小学校 20:17 岡方第一小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 岡方第一小学校 - 西川純のメモ 岡方第一小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 新潟市立岡方第一小学校で11月22日に『学び合い』の学校公開があります。単学級の『学び合い』と合同『学び合い』の両方見られます。子どもたちとも話せます。お誘いします。http://p.tl/r8zv

[]立ち位置 10:14 立ち位置 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 立ち位置 - 西川純のメモ 立ち位置 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 従来型授業と『学び合い』における教師の立ち位置の違いは、経営学的に言えば下級管理職(主任・係長)と上級管理職(社長、専務、常務)の違いに対応します。部下と同じようなことをやっている管理者と、部下とは全く違うことをやっている管理者です。学校に置き換えれば、学年主任と校長の違いに対応します。

 両者の仕事は根本的に違います。前者は部下の相談相手になることが仕事です。後者は部下が働きやすい職場を作り、モチベーションを高めることが仕事です。だから職能を高める方法も違います。前者は部下がやっていることを自分もします。後者は部下のやっていることの意味は何かを考えます。

 教材研究に置き換えましょう。従来型授業における教材研究は、子どもたちのやっていることを自分もします。算数・数学だったら問題を解くでしょう。国語だったら、作品を読むでしょう。そして、子どもたちより高度な問題を解くでしょう。とにかく、子どもたちより熟達することを求めます。

 『学び合い』は、算数・数学、国語等は何故学ばなければならないのかを求めます。例えば「二桁の足し算」は何故学ばなければならないでしょうか?一般的には「足し算が出来ないと買い物が出来ない」と説明します。でも、今の時代は「ピピピ」の時代です。計算できなくても買い物が出来ます。こう私が言うと、多くの先生は「極論だ」と言います。でも、子どもたちがその極論を信じていたとき、彼らに「二桁の足し算」を学ぶ意味を「納得させる」ことが教師の仕事なのです。繰り返します。「二桁の足し算」は何故学ばなければならないでしょうか?これは、ものすごく難しい問いであり、これに答えられるためには高度な職能が必要です。

 『学び合い』をやり始めた方は、最初はどのような課題を作ったら良いかを悩みます。これは従来型授業のしっぽがあるからです。しかし、集団創りが出来れば、課題は凝らなくても良いことに気づきます。そうなると、そもそもこの日の学習は何のためにあるのかを考えるようになります。そして、学習指導要領を読むようになります。

 読む本も変わります。いわゆる直ぐ使えるマニュアル本を読んでいた人が、それをあまり読まなくなります。そんなのがなくても授業が出来ますから。その代わりに、教育史や思想史、コーチング、経営学等の多様な本を読むようになります。今まで興味のない専門書のコーナーに行くようになります。

 何故なら『学び合い』を実践して悩むのは、「能力的に無理な子がいるのに、本当に全員達成を求めて良いのか?」、「子どもたち全員が、学校を卒業した後も幸せになるにはどうしたら良いだろうか」、「子どもたちの中で対立が起こっている、どちらにも言い分があり、理がある。子どもたちの中で解決するにはどうしたらいいか?」ということです。それを学校教育の大部分を占める教科学習の時間も含めて考え続けているのです。

 『学び合い』への批判に、「教師の仕事の放棄だ」というものがあります。これは教師の仕事とは何かというものが違うために生じる誤解です。もし若い教師が校長に「掲示物をどのように貼ったら良いでしょうか?」と質問したとき、校長は何をすべきでしょうか?まず、そのようなことを校長に聞く職員関係を憂慮するでしょうね。もし、その校長が若い教師の質問に応えず、職員間で学び合う必要性を職員集団に語ったとき、「校長の仕事の放棄だ」という非難が起こるでしょうか?馬鹿馬鹿しいですよね。

 では、教師の仕事は学年主任の立場にあるべきでしょうか?それとも校長の立場にいるべきでしょうか?

 私は校長の立場にいるべきだと思います。何故なら、学年主任(主任、係長)の立場で管理できるのはせいぜい五六人程度だからです。クラスにはもっと多くの子どもたちがいます。もちろん、そのレベルのクラスサイズの学校はあります。しかし、そのような学校の子どもも進学すれば大きな集団の中に入らなければなりません。それを今、学ばなければ、中一プロブレム、高一プロブレムに直面することになり、多くの教え子を潰してしまいます。

[]小規模校の先生のお気持ち 10:14 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 NRTで高い結果を出している小規模校の子どもが進学すると全然駄目だった、ということは良くあることです。最悪、不登校になる子もいます。残念ながら、教師の善意が子どもを潰している例の一つだと思います。

 だから、「小規模校の先生には、進学した後のことを考えて、そこでつぶれない子供を育てるにはどうしたらいいかを考えてください」と言います。

 が、と言っている私自身が小規模校の先生と全く同じことをしています。それは息子に関してです。それがどんな危険性を持っているか、それを熟知しているのですが、選択肢がないためやっています。危険性を配慮し、できるだけ自主的に育つようにするしかないのです。

 小規模校で 『学び合い』をすると、初めての先生は子どものそばによってべったりと教えるということをします。しかし、周りの子どもが関わり、教え/教えられる関係が出来ると、子どもたちの声に耳を傾けます。そして、子どもたちが信じられるようになると、遠くから見ることが出来ます。

 私も、子どもたちの関わりが期待できるならば、私が小規模校の先生に言っているようにやれます。しかし、それが期待できない。だから、馬鹿馬鹿しいとわかっていて、子どもの自主性を阻害することを熟知しながら、小規模校の先生と同じようなことをしています。ほかに選択肢がないから・・・・