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2010-08-22

[]北海道の会 17:33 北海道の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 北海道の会 - 西川純のメモ 北海道の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、スカイプで北海道の会に参加しました。実は、参加前からずっとスカイプで様子を見ていました。

 北の大地に種はまかれ、芽吹きを実感しました。

[]構え 17:33 構え - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 構え - 西川純のメモ 構え - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の教師としての原体験は、最底辺の高校での物理教師です。だから、大学での教授法の授業で放映される授業も、学校現場の各種の研修会における師範授業も、心の底から「凄い」と思ったことがないのです(うまいな~っとは思うときがありますが)。何故かと言えば、それは、私がそれらの授業を見る際に基準としているのは、あの高校の子ども達を想定するのです。

 大学も現場も、示される授業は全て「学ぼう」という構えが出来ている人たちへの授業です。でも、そんな構えが出来ているならば、名人教師であろうと新採教師であろうと、それほどの差があるとは思えないのです。名人の名人たるゆえんは、そのような構えの出来ていない子ども達を学びに向かわせる部分です。それは、一人一人の教師の人間性が問われる部分です。実は名人教師と呼ばれる人たちは、そのようなものを持っている。でも、それをかいま見せる場を設定した研修が殆どないのです。

 だから、うまいな~っとは思うときがありますが、凄いな~っとは思えないのです。つまり、私は研修のあり方を根本的に変えるべきだと思っています。

[]方法と考え方 17:02 方法と考え方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 方法と考え方 - 西川純のメモ 方法と考え方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 方法と考え方、何度書いても、禅問答みたいに思われるだろうな、と嫌な気持ちになる。でも、その違いを理解することが本当に大事。『学び合い』の考え方の根本は、「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」と、「子どもたちは有能である」というたった二つの考え方。でも、この二つのことだけで、現在の『学び合い』の「方法」、そして、今現在模索している「方法」が演繹される。あたかもF=mαというたった一つの式を積分したり、微分しただけで、数多の古典力学の公式が導き出されるようなもの。

 大学で本格的に物理を学び、高校までの物理がいかに馬鹿馬鹿しくて、効率の悪い教材と教材配置によって構成されていることに気づき、へきへきとした。解析学は高木貞治の本、物理学はファイマンの本のように学ぶべきだと思う。万人に分かりやすいとは思わないが、本当の解析学や物理学を学ぶとしたら、それが一番効率が良いと思う。今、高校でやっている物理や数学の方法は、より抵抗は少ないが、あれでは本当の物理や数学を理解する人は生まれ難いように思う。

 方法から考え方を理解する道もあるが、考え方から方法を理解する道もあります。「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」と、「子どもたちは有能である」を、一度、100%正しいと「仮定」し、それを100%実現する授業方法を演繹してみて下さい。先に述べたように、それは現在の『学び合い』の「方法」、そして、今現在模索している「方法」が演繹されるはずです。そうでないならば、どこかに「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」と、「子どもたちは有能である」という考え方は、「それは正しいけど、でも、そればかりではない」と思っているはずです。

 「それは正しいけど、でも、そればかりではない」という考えは、常識的で、大抵は正しい。だから、全面否定するつもりはありません。でも、その場合は、是非、「そればかりでない」という、あなたのもっている大事なことを言葉に表して下さい。これは大事です。「それは分かっている。書こうと思えば、直ぐに書ける」と感じているが、実際に書き始めると書けないと言うことはよくあると思います。そうか、そうでないかは、実際に書けば分かることです。是非、明文化して書いて下さい。

 さて、書けたら、以下の基準で吟味して下さい。第一に、それらによってあなたのありとあらゆる教育活動(教師以外の人の場合は、管理運営)に矛盾していないかです。明文化したものが数多くある人の場合は、一見矛盾していないように見えます。しかし、数多くの明文化された考えがある場合、それらは相互に矛盾するはずです。

 第二に、それらは「みんな」に当てはめることが出来るかどうかを考えて下さい。どこにも世の中にいない「平均的な児童」、「平均的な生徒」ではなく、あなたの教えている子ども(管理している部下)を一人一人思い浮かべて考えて下さい。何人かを無意識に除外していないでしょうか?

 吟味をしていると、「世の中、そんなに単純じゃない。その場、その時に応じて対応するものだ」と言いたくなるでしょうね。気持ちは分かります。でも、あなたが判断する事例の8割以上が原理原則に則って行われており、1割程度がその場、その時に応じて対応しているのならば、私も同意します。でも、あなたが判断する事例の中で原理原則に則って行われているのが、8割を下回っているならば、あなたは原則を持っていないということです。刑法に置き換えれば自明だと思います。もし、刑法の運用が条文に則っていない高度の判断に基づいたものが2割以上だとしたら、何を信じればいいのでしょうか?

 おそらく、そのような管理は子ども(部下)が5、6人程度で、どこまでも個別対応をし続けられる状態では可能でしょうが、それ以上の場合、恣意的な判断をする教師(管理者)だと思われるでしょ。結果として、教師(管理者)の指示を待って動く集団が生まれてしまいます。

 方法ではなく、「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」と、「子どもたちは有能である」という言葉を吟味して欲しい。方法は、それらの「影」なのですから。

追伸 私は万人が解析学や物理の理論を理解できる必要はないと思います。同じように、『学び合い』の考え方を万人が理論として理解できる必要もありません。人間の行動はたいていの場合は、理論によって動いているわけではない。例えば、我々は法を暗記していなくても、大抵は法を大幅に犯すことなく生活できる。何故なら、その理論(法)に矛盾のない行動群を認知心理学のスクリプトのような知識群として、「集団」の中にため込んでいるから。平たい言葉で言えば、ある行動群を共有している集団(それこそが文化)の中で、一人一人が周りと似た行動をしてていればいいのですから。でも、そのような場合でも、理論に照らしてチェックする人は、一定数は必要です。ましてや、新たな文化を創造しようとしているならば、なおさらです。

[]プリン 12:43 プリン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プリン - 西川純のメモ プリン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子が「プリンを逆さにするとどうなる?」と質問しました。家内は「ンリプ」と答えました。息子は「ブッブー。答えは、食べられる、でした」と答えました。私は大爆笑。息子はプッチンプリンが大好きです。

[]北海道の会 07:54 北海道の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 北海道の会 - 西川純のメモ 北海道の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、札幌で『学び合い』の会があります。http://bit.ly/axxi3Y 5