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2012-02-24

[]バカ学生 22:40 バカ学生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バカ学生 - 西川純のメモ バカ学生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 手の付けられないバカ学生がいます。高校時代から酒を飲み、銀座で飲み歩いていました。親が職人で、酒を飲むことに抵抗が無く、中学生から晩酌につきあわせたと聞きます。その流れで高校から飲みに行くと、小遣いを渡すのです。その流れで、大学時代も当時の初任給の2倍ぐらいの仕送を受けているのです。それも、服や車の車検等は親がかりです。

 理解できない美意識のもとに、パイプを吸うわ、葉巻を吸うわ。大学に絹の三つ揃いで通学します。ヒゲを生やしていました。大学の殆どの時間は、遊びまくっていました。大学の学部のゼミ所属では、指導教員から拒否され、拝み倒して所属させてもらいました。その新歓コンパでは酔った勢いで相撲で投げ飛ばし、指導教員を投げ飛ばし歯を折りました。無茶苦茶な学生です。

 というのは私です。ですので、どんな学生も「まし」と思います。結局、学生の姿は様々であっても、人としての姿は同じです。愚かであり、有能であり。一人一人が幸せであって欲しいと願います。私ですら、幸せなのですから。

[]あの子 07:11 あの子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - あの子 - 西川純のメモ あの子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は毎日、毎日、全国の様々な教師からの相談メールを読みます。その文章の中で問題を起こしている子どもの記載が目立つと、「あ、原因はあれだな」と判断できます。

 『学び合い』の初期段階はもの凄く簡単です。というのはホモサピエンスの本能のママの姿ですから。じゃましなければその姿は出ます。籠の中の雀を放せば、心配しなくても雀は雀の行動をします。それと同じです。

 しかし、そのままでは初期段階から中期段階には進めません。1年やっても10年やってもです。雀を1年観察しても、犬の行動はしませんし、アリの行動はしません。それと同じです。『学び合い』の初期にやる可視化等の様々なテクニックは本能のままの行動を出やすくするだけ以上の機能はありません。『学び合い』の初期段階と中期段階の違いは一点だけです。それは「一人も見捨てずに」ということがクラス集団の中に根付いているか、いないかの違いです。「一人も見捨てずに」はホモサピエンスの本能ではありません。教育のなせる技です。どのように教育するか、それは語るしかありません。

 しかし、それが中々語れない。理由は、語っている教師自身が「一人も見捨てず」ということは得であるとは思っていないのです。例えば、「あんな子どもに教えるなんて難儀だろうな~」と思ってしまいます。その端的な兆候が問題となる子どもの記述が長くなるのです。その記述の意味は「こんな子どもがいるのだから、『学び合い』は成長しない」と思っている証拠なのです。

 では、どうするか。その「あの子」から目をそらしましょう。教師がなんとかしようとしても駄目です。集団に目を向けましょう。クラスの中には、教師がちゃんと語れば、それに応えてくれる子どもは2割います。でも、誰だとは分かりません。だから、集団に語るのです。そして、「一人も見捨てない」ということは、一人も例外なく「得」であることを自信を持って語るのです。では、自信を持って語るにはどうしたらいいでしょうか?難儀かも知れませんが、長編の『学び合い』の手引き書をお読み下さい。そして、考えて下さい。「一人、二人は見捨ててもしょうがないと思っている現状の教師」と「不可能であっても、一人も見捨てないと踏ん張り続ける教師」とどちらが「まし」でしょうか?明らかに、圧倒的に後者がましです。

 従来指導型の教師は、授業がうまくいかないと、「テクニック」や「あの子」に原因を求めます。が、『学び合い』では「自分の心」に原因を求めます。だって、どんな「テクニック」だってクラス全員にフィットするわけ無い。そして「あの子」が仮に原因だったとしても、他人を動かせるわけ無いし、ましてや「あの子」は無理。であるならば、「自分の心」に問いかけます。

 私も大学で教師をやっています。25年間に膨大な学生を指導しています。当然、「あの子」はいます。そして、私も「テクニック」や「あの子」に原因を探ろうとします。しかし、しばらくすると、それが無意味であることに気づきます。そして、「自分の心」を問い直し、全体に語ります。それで解決するか分からなくとも、それしかないことは知っています。十数年『学び合い』を研究し、実践した結果、「テクニック」や「あの子」に原因を探ろうとして、それが無意味だということに気づくまでの時間は短くなりました。