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2012-09-11

[]焦る 18:02 焦る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 焦る - 西川純のメモ 焦る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私にはいろいろな方のメールが来ます。以下をお読み下さい。

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はじめてメール致します。

●●県●●市在住、「気になる子」(6歳)を持つ一児の母です。私は、以前小学校の教師に憧れ教育学部で学んだものの、一度も教職につくことがありませんでした。しかし、今年Eテレで学びあう学級のTVを見て大変興味を持ち、その後、先生の著書を数冊読ませて頂きました。(TVの学びあいの考え方と先生の考え方は少し違うようですね。わたしはそのあたりのことがわかりませんでした。すみません)教師向けに書かれた本のように思いますので、きちんと読めてないのですが、「学びあい」に大変共感しました。

最近小学校を数校見学させて頂いて感じることは、すべてにおいて疲弊してしまっているということです。(地方ではそのようなことはないかもしれませんが)特にうちの子どものような「気になる子」にとっての居場所がない。どこの小学校に行ってもいやがられ、普通学級に在籍しても、支援学級に在籍したとしても(どこも満員です)適切な支援が得られず(子供たちの力を借りれば少しの支援でいいはずなのに)障がい者扱いされるだけで終わってしまう…。

正直、小学校でなにを学ぶのか…それすら分からなくなっています。子どもに対して今までは、塾にはない小学校の魅力を感じてほしくて、小学校に通ってほしいと懸命になってきましたが、「もう、いいかな…通わなくても」という心境です。

日本では教育システムの枠に入れなかったものはすべて障がい児としてみなしていくという考え方が一般的な考え方なのでしょうか?日本の教育はどういう方向に進もうとしているのでしょうか?

「気になる子」には日本の将来を充分に背負っていける能力を持って子どももたくさんいるのに…

それを発揮できないならこれほど悲しいことはありません。

これから先、私自身「学び合い」を含め、いろいろなことを勉強して、今の状況が変わるよう働きかけていきたいと思っていますが、その前に、私の娘にはぜひとも「学び合い」の教育を受けさせたい。どこか近くに学び合いの取組みをされているところがあれば見学に行きたいのですが。 近くに取組みをされている小学校がないようですが、個人的にされているところなど、もし情報をお持ちなら教えていただければと思っています。

お忙しいところ申し訳ないですが、返信いただけるならありがたいです。市にも学校に話しても反応がなく、どこに声を挙げていけばよいかわからずメールをしてしまいました。

読んで頂いてありがとうございました。

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 いかがでしょうか?同じ子を持つ親として察するにあまりあります。読んでいるうちに苦しくなります。この方に応えるためには、一人の実践者レベルで対応できるレベルではありません。これは学校レベルの『学び合い』が必要です。いや、学校群レベルの『学び合い』が必要なのです。

 私は人の秘めた心を察する能力に欠けています(そのため、よく家内から叱られます)。しかし、一方、苦しんでいる人がいると、その苦しみを強く共感してしまう傾向があります。そのため、ドラマでも映画でも、子どもが苦しんでいる場面がチラリとでもあるとみることが出来ません。ニュースでも児童虐待が報じられると、途中でチャンネルを切ります。さもないと、3日以上は苦しくて寝られなくなるからです。

 高校教師から大学教師に異動した最大の理由はそこにあります。解決できない子どもの苦しみに共感し、増幅し、毎日、1升以上酒を飲まないと眠れない状態が続いたのです。あのままでは確実に死んでいました。

 ところが『学び合い』を知ってしまった。そして、私のところに様々な情報が集まる。だんだん高校教師の時の状態に近づいているのでは無いかと、怖い思いです。この数日、これを乗り越えるために、上記のような方に応えられる確かな一歩になると思われることの実現に関して、端緒を感じられ心が落ち着いてきました。

[]知ってしまった 18:02 知ってしまった - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 知ってしまった - 西川純のメモ 知ってしまった - 西川純のメモ のブックマークコメント

 アダムは知恵の実を食べてしまった。それを後悔しているだろうか?

 大学教師になりたては、とにかく研究者として生きられるか否かで頭がいっぱいです。研究者の世界は厳しい世界です。山のような論文を書きました。

 自分の研究を学術の世界で認めさせたいとさらにがんばりました。結果としていろいろな学会から各種の学会の賞をもらいました。少なくとも理科教育学の世界では、最も多くの賞を頂いた一人だと自負しています。上越教育大学で最年少で教授になりました。理科教育学会の学会誌編集委員長を務めてましたし、臨床教科教育学会の学会長を務めています。学術の世界でやり尽くしたと思います。

 上記のことを達成するまでは、それを求めしゃかりきになっていましたが、それを達成したあとは虚しいものです。簡単に言えば、「だから何」と感じるものがあります。

 だから、それまでのパラダイムを超えて『学び合い』を知りました。既に、『学び合い』に関する基礎的な理論とデータはほぼ構築したと思っています。しかし、虚しくありません。ワクワクします。こんなワクワク感を感じられる研究者として五十代を過ごせるなんてすごく幸せだと思います。

 が、同時に、知ってしまったために苦しみも生まれます。

 アダムは知恵の実を食べたあと、苦しんだでしょう。でも、知恵の実を食べる前に戻りたいとは思わなかったと思います。と、私は想像します。そして、全国の同志もそう思っていると思うのです。

[]非『学び合い18:02 非『学び合い』 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 非『学び合い』 - 西川純のメモ 非『学び合い』 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の私を自己分析すると、つくづく私は非『学び合い』的人間だと思います。先に述べた共感能力の高さが災いして、自分の教え子が困難に直面していると分かると、頭の中がいっぱいになってしまうのです。そして、自分で何かしなければならないと思い始めます。

 もちろん、それが無駄だと言うことは人一倍分かっています。そして、全国の人に偉そうに無駄だと語っています。しかし、自分で出来ることは何かないかといろいろとシミュレーションをし始めます。この数日は、それで頭がいっぱいになり、睡眠不足になっていました。ブログ等も書けませんでした。

 結局、いろいろ考えても、結局、彼らの抱えている問題を解決できるのは彼らしかないことは明らかにです。『学び合い』のセオリー通りの結論になりました。

 でも、何もしないと気が狂いそうになります。ですので、彼らが絶対出来ないことで、彼らが絶対に思いつかないこと、そして彼らや全国の同志のためになることをすることにしました。