■ [大事なこと]説明法
『学び合い』を批判されている方の圧倒的大多数は、定常的に『学び合い』を経験したことがあるし、その多くは『学び合い』を実践した方です。
一見、奇想天外に見える『学び合い』ですが、部活は『学び合い』で運営されていると思います。例えば、テニスの素振りの仕方を教師が殆どの時間を使って説明し、部員はそれを見ている。時に、指名された子どもがテニスの素振りをして教師のチェックを受ける。最後に、テニスの素振りのポイントを教師がまとめる。その間中、部員は立ち歩いたり、人と相談することは許されない。そんな部活ありますか?また、学年ごとに別々な部屋で上記を学ぶ部活ありますか?
成績を上げている部活の場合、教師は大会で優勝する意味を語り、全員でやることの意味を語ります。様々な学年が一緒になってそれぞれの役割を果たします。それぞれの学年、それぞれの部員は、それぞれの練習や役割を果たします。それらは部員が自らプログラムします。顧問はそれらを全体的にじっと俯瞰しています。そして、最後に、その日の練習を総括し、評価し、次回の練習への課題を語ります。でしょ?
さて、じゃあ、何故、教科学習でそれをしないかを医者論で批判する人に聞いて下さい。おそらく苦し紛れに色々な言い訳を言うと思います。そうしたら、職員室のような職場の学びなど、学校以外の学びでは常に『学び合い』であることを例示して下さい。
私がそれをやると黙るか、感情的になる方ばかりなのです。みなさんのなかでやんわりと出来る方がいたらやってみてください。そして、言い訳を聞いて下さい。実は、その中にその人の教育観が表れているのです。
手引き書に書いたとおり、『学び合い』が変なのではなく、現状の一斉指導が人類数百万年の間の二百年間咲いているあだ花に過ぎません。それも学校教育にのみなりたっているあだ花です。だから一斉指導が衰退するのは必然です。