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2013-04-28

[]サイエンティストゲーム 21:46 サイエンティストゲーム - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - サイエンティストゲーム - 西川純のメモ サイエンティストゲーム - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のメモを読んでいただいている、奇特な若手研究者に推薦図書です。それはサイエンティストゲームという本です。シリーズものです。読むと良いですよ。私は大学院の時に読みました。研究者の人生を俯瞰できる本です。

[]我が意を得たり 21:32 我が意を得たり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我が意を得たり - 西川純のメモ 我が意を得たり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 アベタカさんのメモを読み、我が意を得たり、と思いました。http://p.tl/pqSZ

 私が大好きなのは、私が何もしなくても物事が進むことです。

 アベタカさんが言うように、早く、私が本を書かなくて良い状態にしたい。さて、現状の出版界は私が最初の本を出した十年以上前とは別です。余裕がなくなってきています。1年間で2千冊以上売れなければなりません。さて、売れなかったら自腹で買い取る覚悟のある方がどれほどいるでしょうか?2000円として400万円です。今、メジャーな出版社で本を出すとは、そういうことです。ま、少なくとも100万円を負担しても良いという覚悟が必要です。

 だから、私はそのような状況を早めに作りたい。そのためには『学び合い』を理解してくれる人を、今の十倍に増やさなければペイしないのです。だからノウハウ本まで書いているのです。

 でも、私はその前の段階で何か出来るかを考えています。

 でも、同志の方々でも出来ることがあります。地方の出版社だったら、1年間で2000冊ということは言いません。そこで、まず、出すことです。必要ならば、その本の宣伝チラシを私の講演会で配りましょう。ちなみに私の最初に書いた本は、岡山市にある出版社です。十数年前ですが、未だに売れています。

 今、本を出すとしたら、今の読者層に受けることを書かねばなりません。ある意味、魂を売り渡さねばなりません。それも徹底的に。本当に今書きたいことではなく、今、受け入れてもらえることを書かねばなりません。

追伸 もし、色々な方々が本を出せるような状況が整ったらば、私は『学び合い』から身を引くでしょう。今までの実証データによる研究、認知心理学による研究と同じです。研究者は常に、みんなと違った一歩先を歩かねばなりません。もちろん、一人も見捨てないという最初の志を捨てるわけではありません。もし、可能ならば、おそらく私の最後の仕事である、教科内容の精選に移行したい。つまり、一人も見捨てないから、一人も例外なく最高の教育を受けられる、に移行したいのです。

[]良い方向 19:29 良い方向 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 良い方向 - 西川純のメモ 良い方向 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「なぜか仕事のできる教師の7つのルール」に書きましたが、多くの教師は授業の上手い教師が教師に好かれ縦糸を作れると思っています。しかし、それは誤りです。授業のうまさや、明るさや、話術で子どもを引きつけら得るのは、ま、1ヶ月程度でしょう。それ以降は、その人の人柄、心なのです。

 思い出して下さい。我々が尊敬した教師は授業がめちゃくちゃ上手かったでしょうか?おそらくそういう人もいますが、そうでない人もいたと思います。実は、授業のうまさが重要なのではなく、授業を上手くしようとするその人の心が子どもを引きつけていたのです。

 だからです。名人教師の授業案通りに授業をしても、見事にひどい授業も出来ます。名人教師の作った教材を使っても失敗する事が出来ます。なぜなら、授業や教材はその人の心と一対になって効果を出すからです。心が伴わなければ、心の方の影響の方が大きいからです。

 だから、いわゆる世にあふれるノウハウ本に不満を持っていました。多くはそれを書いた人の心が伝わらず、ただノウハウのみが伝わるのです。結果として、切り売り可能なプリント類のみが残ります。その程度のノウハウしか生き残れない。

 しかし、最近は実践者の心を伝えようとする本が前より多くなっているように思います。例えば、その人の生き様を追体験させようとする本もあります。ノウハウのみならず、そのノウハウが生まれた状況をエピソードで語る本も出ています。それらは読みやすく、小説を読むようにスルスルと入ります。

 が、理科人である私には不満なのです。つまり、確実に伝わるとは限らないのです。例えば、聖書の解釈は十人いれば十通りとなります。仏教のように様々な表現をした仏典のどの部分を重視するかで、数限りなく宗派が生まれます。

 それに対して数学は、極限まで無駄なものを排除し、シンプルにして、根源となるものは何かを定めます。そして、それをもとにして、ありとあらゆる事に演繹するのです。数学の本の基礎の部分は一般には読みづらいものです。

 例えば、ユークリッド幾何の第一公理は「点と点を直線で結ぶ事が出来る」というものです。一般の人が読んだら、「何、当たり前の事を・・・」と思うと思います。しかし、そのレベルまで純化するからこそ、数学は確実に伝える事が出来るのです。

 私が『学び合い』を考えるとき、それは生物学的妥当性を考えます。でも、それを理論としてまとめる際は数学をモデルにしたいと願います。『学び合い』は1行で表現できる学校観と子ども観だけで、全ての方法論が導かれます。もちろん、多くの方に分かってもらうためには、様々な実践のノウハウを整理し、提供しています。でも、それは原理原則というものの影に過ぎません。本体は学校観と子ども観です。ノウハウではいつか壁にぶつかります。その時、学校観と子ども観の凄さを実感できるのです。

 私としては、世にある優れた実践者の心を、一度、極限まで整理したら、もっと面白い事が起こるのにな~っと思います。

[]判別法 08:38 判別法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 判別法 - 西川純のメモ 判別法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 佐藤学先生の学びの共同体と『学び合い』(もしくは私)を並列に並べていたら、本を一冊も読んでいないし、実践を見てもいない事が分かります。

学びの共同体の実践は、多くの先生のイメージする良い授業を純化し、高度化したものです。だから、多くの先生方には受け入れやすい。ま、例外と言えば、ジャンプ課題ぐらいだと思います。しかし、それに目をつぶれば、現状の授業と一致しています。

一度でも、「教科書○ページから○ページを全員が出来るようにしましょう。さあどうぞ」という『学び合い』を見てしまえば、両者を見まがうわけありません。おそらく、学びの共同体を一生懸命にやっている方々にとって、『学び合い』と並列にされる事を心外だと思っている方も少なくないですよ。(私だって、佐藤学先生と私ごときが並んで書かれると、申し訳なくってしょうがありません)

追伸 本当に目指すところは一致しています。ただ、子どもと教師の能力をどのように見取っているかが違います。しかし、本当に目指すところのレベルで理解している人だったら、それらを否定するわけないですから。