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2016-09-26

[]昔は 22:18 昔は - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昔は - 西川純のメモ 昔は - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある方の『学び合い』実践の相談に乗りました。

 聞いていると、何か変なのです。聞いてみると、ネームプレートなどの基本テクニックを知らずに『学び合い』実践をしているのです。さらに聞いてみると、読んだ本は『学び合い』スタートブックのみだそうです。ビックリしました。なんと大胆な・・・。英語のしゃべれない人が、和英辞書一つでアメリカ旅行に行くようなものです。

 『学び合い』スタートブックは『学び合い』の素晴らしさを伝えますが、ノウハウの細かいところは書いてありません。慌てて、基本的なノウハウが書いてある本をいくつか紹介し、直ぐに読むように勧めました。

 しかし、その人の実践の状態を聞いていると、かなり上手くいっているのです。もともとのクラスの集団の凝縮力、その人の指導力のなせる技だと思いました。

 そして思い出しました。昔はノウハウを公開することをためらっていましたし、当時はノウハウも洗練されていませんでした。『学び合い』の初期実践者はスタートブックどころか、手引き書ぐらいで『学び合い』を実践し、成功していたのですから。今思うとすごいです。

 が、今はノウハウに関して私や私以外の人が様々に本にまとめています。『学び合い』は再現性が非常に高い実践です。本の通りにやれば、本の通りになります。だから、本を読むことを強く勧めます。転ばぬ先の杖です。

http://bit.ly/2aneCqj

[]多様性 17:37 多様性 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 多様性 - 西川純のメモ 多様性 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生から「分かる説明をするために大事にすべきは?」と聞かれたとします。私は「誰に分かって欲しいの?」と聞くと、「子ども」と学生は応えます。私は「子どもという子どもは一人もいないよ。一人一人は全員違う。君がどんなに苦労しても分からない子どもがいて、どんなに手を抜いても分かる子どもがいる。説明の仕方ではないんだよ。君が語るべきだと思うことを心を込めて語りなさい」と語ります。

 私は色々なところで講演をします。しかし、心の中に響き、この会場を出たあとも思い出してくれるのは2割、そして実践に至るのは数人だと思っています。そんなもんです。でも、大枚なお金をもらっているのですから、エンターテインメント性は高めますが、エンターテイメント性で本質は変わりません。何故かと言えば、私の話が分かるか分からないかは、私と「その人」の相性の問題ですから。

 こんなこともありました。高校の国語の教師に対して、ある文章を読ませて評価をさせました。そして、その評価が高校教師の中で一般的かを聞きました。その結果、「全て」の教師が高校国語の教師だったら私と同じ評価をすると回答しました。しかし、彼らの評価は点でバラバラでした。そんなもんです。専門家の国語の先生でも評価がバラバラだとしたら私なんぞが分かるわけありません。

 私はそれでいいと思っています。

 ユダヤ社会では、全員一致の議決は無効になるそうです。全員一致するというのは不自然であり、何か問題があると考えるからです。優れた知恵だと思います。

 私の講演を敵意むき出してにらみつける人がいます。大人げないな、とは思いますが、「ま、そうだよね」と思います。私の本を一節ごとに論断する人がいます。「ちょっとずれていますよ」と思いますが、「ま、そうだね」と思います。いや、読んで批判する人は誠意がある方です。読みもしないで、伝聞や切れ切れの言葉をつなぎ合わせて、かってに批判する人が大部分です。

 しかし、心を込めて反対する人がいて、心を込めて賛成する人がいることはありがたいことだと思います。名だたる文豪・作曲家はその時代に「幼稚だ」、「破壊者だ」、「愚劣だ」と言われたのですから、凡夫の私がそれに類する批判を受けたならば、なにがしか注目を受けたことを意味していると思っています。

 全ての人に分かる話、文章、ありえるわけありません。どんな話、文章でも分かる人がいて、分からない人がいる。好きな人がいて、嫌いな人がいる。大事なのは、分かる人、好きな人に確実に伝わるようにすればいい。その際、大事なのは表現でもなく、内容でもありません。心です。語る言葉、書く文章に込められた心が本当ならば、必ず伝わります。私はそう信じています。

追伸 私の本の9割以上は『学び合い』初心者であり、その多くは採用5年以下の人を想定しています。出版社からそのように求められています。最近、中級者向けの本がやっと書けるだけ裾野が広がりました。なお、上級者向けは口伝が主です。だって、上級者向けには入門者向けと真逆なことを言うので誤解されます。例えば、入門者向けにはネームプレートの利用を薦めます。しかし、上級になると薦めません。入門者向けには全員達成をこだわることを求めますが、上級者には全員達成しなくていいんだよと言います。私は入門者向けには教材研究をするなと書きます。でも、上級者には教材研究は大事だと話します。分かる段階にならないと、両者は矛盾しないことが分かりませんから初心者向けの本には殆ど書きません。

[]宮田小学校 10:58 宮田小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮田小学校 - 西川純のメモ 宮田小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月10日に長野県宮田村立宮田小学校で授業公開があります。ご希望の方は、小学校の教頭先生にご連絡下さい。日程は以下の通りです。

 

1,2,4年合同授業 10:50~11:35

3,5,6年合同授業 11:40~12:25

授業研究会15:15~15:45

講演会(私が担当します) 15:50~16:50

[]法廷闘争 08:55 法廷闘争 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 法廷闘争 - 西川純のメモ 法廷闘争 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大多数の人からは極論と思われることを書きます。(ま、いつものことですが)研究者として、理屈を純粋に推し進めます。それによって常識の壁を突破します。そこに学術の意味があると思います。ただ、私が普通の研究者と違うのは、その理屈によって出た結論を実践で証明します。実験的なものではなく、数ヶ月、数年にわたって実践し、問題が無いことを証明します。だから、「研究者の戯言」と無視し得ないので、苛つくのでしょう。

 さて、

 教育基本法、学校教育法、学校教育法施行令、学校教育法施行規則、学習指導要領のどこにも、授業中子どもは静かに椅子に座って、教師の発問・板書をノートに取れとは書いていません。

 授業が分からない子どもにとって、1日6時間以上、週5時間、分からない授業を黙って聞いていることは拷問以外の何ものではありません。みなさんがつまらぬ研究授業を参観しているとき、「おいおい、こんな授業を1年間、君たちは聞いているのね。偉いな~」と思いません。私はよく思います。

 憲法第36条には、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と書いています。また、憲法第31条には、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とあります。つまり、憲法違反です。

 そこで日本の教育法規の最高権威である前学長の若井先生に「法廷で戦ったらどうなる?」と聞きました。若井先生によれば、「授業を成り立たせるために必須なことであり、子どもの苦痛を緩和することをしているならば違法とはならないだろう」と言われました。でも、「必須な場合」に限られます。もし、『学び合い』が一定以上の市場を占めたら、どうなるのだろう。と思います。