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2013-08-07

[]『学び合い』でのキャリア教育 08:28 『学び合い』でのキャリア教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』でのキャリア教育 - 西川純のメモ 『学び合い』でのキャリア教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の教育で決定的に欠けているのは、「必然性」です。例えば、日本の英語教育が不十分なのは、英語と根本的に違う構造であるウラルアルタイト語族であることは原因ではありません。日本の英語教師の能力が低いわけでも無く、教材が悪いわけでもありません。原因は英語を学ぶ必然性が無いからです。せいぜいは大学入試で使える以上の必然性を持ちません。それは不幸なことでは無く、日本がとても素晴らしい国だからです。というのは、日常生活は日本語で全て事足りています。最先端の情報も、日本語で手に入れることが出来ます。英米圏以外で英語教育が盛んである国を思い浮かべてください。英語以外に国民の共通語が無い国、自国語で書籍が充実していない国です。日本はそんな国になる必要は無いと思います。だから、英語教育を推進したいならば、子どもたちが「必然性」を感じるような仕組みを考えるべきです。

 これはキャリア教育も同様です。どうも、職業体験をすればキャリア教育になると誤解されているように感じます。しかし、それよりも「就職したい」という必然性を獲得させるのが最初だと思うのです。それが無ければ、職業体験も砂上の楼閣だと思います。では、どうやったら「就職したい」と思うようになるでしょうか?それは、自分にとっての幸せを考えさせるのが第一だと思います。自分なりの「幸せ」を創造するのです。ただし、自分なりの幸せがどこかにあり、それを探すのではありません。自分なりの幸せをまず創り、それを精緻化し理論化するのです。

追伸 私にとっての「幸せ」は、「家族仲良く、健康に」です。

[]『学び合い』でのICT 08:11 『学び合い』でのICT - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』でのICT - 西川純のメモ 『学び合い』でのICT - 西川純のメモ のブックマークコメント

 遙か昔、私は理科教育での教育工学の専門家として大学に採用されました。私の最初の講義は、教育工学についてなのです。当時は大型コンピュータを駆使し、パソコンを組み立て、アセンブラでプログラムを作り、インターフェイスを自作し、人工知能言語でプログラムを書きました。そして、その手の研究で論文をいくつも書きましたが、その手の研究は実践には役に立ちません。

 研究の世界で生きようとしたならば、最先端の技術の可能性を追い求めます。しかし、学校現場は最先端の技術を使いこなす時間は無いし、使いこなしても、直ぐに時代遅れになってしまう。第一、最先端の技術を使いこなすための機器は高く、リアリティはほぼありません。

 『学び合い』にシフトした後も教育工学には興味を持ち、研究をしました。ただし、実践に本当に役に立つ研究です。ポイントはいくつかあります。

 第一に、業務用のハード・ソフトは使わず、民間用、それもコンピュータが相対的に不得意な人も使っているレベルのハード・ソフトを使います。つまり、使うとしてもワード・エクセル・一太郎レベルに限り、専門のソフトは使いません。ハードとしては十数万円以下のコンピュータやipad、簡易型のプリンターやデジカメ程度しか使いません。学校現場は、上記以外を使いこなす時間も金もありませんから。このあたりはコンピュータの得意な人が忘れることです。

 第二は、利用方法は子どもに任せます。ICTの実践の場では、必然性より可能性が先行しているようです。そして、ICTの得意な人が「これが凄いです」と売り込みます。しかし、ひ「必然性」がないので定着しません。

 私が大学院の時、CAIがもてはやされていました。大抵はコンピュータをクラス人数分揃えて、そこから出発します。そして、それを使い切るにはどうしたら良いかを考えます。これって本末転倒ですよね。本当は、必然性があってツールがあるのに、ツールがあって必然性があるということです。

 では、どうしたらいいか。人数分のコンピュータやipadを揃えてから、さあ使えではなく、まず、数台のコンピュータやipadをユーザーである子どもに渡すのです。そして、子どもたちがどのようにそれを使うかを見て、必要があれば台数を増やせばいい。必然性があるのですから、必ず定着します。コンピュータの得意な人が、こう使え、ではなく、使いやすい環境を与え、使い方は自由にするべきだと思います。

最高のツールは「人」です。人を中心にして学習を考え、それをつなぐツールとしてコンピュータを考えるべきだと思うのです。どうも、ICTを使いたいという願いが先行しすぎているように感じるのです。

 以上まとめると、実は、『学び合い』自体がICTなのです。

追伸 逆に言うと、コンピュータの得意な人が、ハイテクを先行し、必然性より可能性を先行させたICTがもてはやされています。結果として、「使いたくも無いのに、使えと言われてやっている」学校や人を知るにつけ、三十年前に見たことをデジャビュする思いです。結局、そんなものは廃れて、次の時代には繋がりません。民間用の機器やソフトが、研究と無関係に必然性の中でもまれ選択され、残ったものが次の時代に繋がります。

[]結婚・就職 08:11 結婚・就職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 結婚・就職 - 西川純のメモ 結婚・就職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 職業柄、結婚適齢期(?)前後の人と関わる機会が多いです。

 非常に失礼な書き方になるかもしれませんが、相対的に若い頃には結婚相手に高い理想を持ち、結果として結婚するのを先延ばしにしている人がいます。

 どうも、若い頃は「最高の伴侶」なるものが世の中に誰かいて、それを見いだせると誤解しているふしがあります。考えてみてください。世界には数十億の異性がいます。でも、本当に伴侶となり得る出会いの機会を持てる人が何人いるでしょうか?まあ、数百人程度では無いでしょうか?さらに教員として就職後だったら十人以下だと思います。その中で最高の伴侶を得る可能性は1等前後賞を当てる確率よりも低い。

 つまり、仮に「最高の伴侶」なるものがいたとしても、その人と出会う可能性はほぼ無いと考えた方がいいと思います。

 しかし、相対的に「最高の伴侶」を選びたいと願うでしょうね。でも、結婚前にそれが分かるでしょうか?私は無理だと思います。出来るとしたら、「絶対に駄目」かそうでないか、ぐらいだと思います。結婚前に見せる姿と、結婚後に見せる姿は別人だと考えた方がいい。交際十年以上で結婚して、結婚1年以内で別れる人もいます。年長者のアドバイスですが、色々な人に相談することを勧めます。二つの目よりも、多くの目は、より正確に「絶対に駄目」か否かを判断できるでしょう。

 じゃあどうするか?

 最優先は、伴侶になって頂ける方か否かだと思います。そして、結婚するのです。結婚後は、相手にとって「最高の伴侶」になるよう努力する。それが、相手が自分にとっての「最高の伴侶」に近づいて貰える唯一の道だと思います。

 で、就職も同じです。最高の就職を探すのでは無く、自分の学歴・キャリアを生かして就職できる職業に就くことだと思います。そして、就職先にとって最高の戦力になること、それが就職先が最高の就職先に近づく唯一の道だと思います。

追伸 私が若いゼミ生に話す内容で一番多くを占めるのは、馬鹿話です。その次は『学び合い』より、上記のような「おじさん」の説教のように思います。ゼミ生には、上記のことを、様々な側面から、詳細な分析・豊富な事例を駆使して三十分以上話します。