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2013-09-20

[]親子二代 07:12 親子二代 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 親子二代 - 西川純のメモ 親子二代 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、今日と我がゼミに学びに来た学生さんの親御さんは、古くからの『学び合い』の同志です。その学生さんは『学び合い』を学ぶためにある本を読んだら自分の親の名前があってビックリしたそうです。そうえば、親御さんがなんか本を書いたということは聞いたことを思い出したそうです。

 『学び合い』が生まれたのは二十年弱です。しかし、その多くの時間は学術の世界にとどまっていました。本当に現場に広がったのは5、6年でしょう。その今、親子二代の『学び合い』の仲間が生まれ始めています。

 なんか面白いな、と思いました。

 学部生で教えて、現職派遣の院生として教えることとなったゼミ生も生まれています。早晩、親子二代の教え子も生まれるかもしれません。ま、年をとったと言うことですね。

[]楽しい 07:03 楽しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽しい - 西川純のメモ 楽しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、お客様を囲んでのゼミの飲み会がありました。楽しかった。何が楽しいって、ワンノブゼムになれるから。ゼミ生は私の取り扱いを心得ています。つまり、管理者としての私のモードになっていないときは、馬鹿なおっさんという扱いでいいのです。いじりすぎても駄目だし、だからといって無視すればいじける。

 たえずおこる誰かの馬鹿話に爆笑し、酒を飲めるのは楽しい。

 そういえば、昨日のゼミで、ゼミ生から教師として大事な立ち位置は何かを問われました。言下に「愛」と応えました。ただし、愛と言っても、親の愛、お兄さん、お姉さんの愛ではなく上司の愛です。つまり、自分の幸せ、自分の家族の幸せを第一優先するという前提の元に、子ども、子どもたちの幸せを願うことなのです。

 ゼミ生は私の三つの顔を見ています。第一は、授業や講演会での私。第二は、馬鹿話をしまくる手のかかるおっさん。第三は、やるべきことをやるべきであると圧倒的にかつ静かに語る指導教員。第一は、演じている私です。第二、第三が「愛」で一貫しています。でも、これは第二、第三の私の姿を見ないと、そのギャップと一貫性は分からんと思います。

[]パラダイムシフト 07:03 パラダイムシフト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - パラダイムシフト - 西川純のメモ パラダイムシフト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クーンの科学革命の構造を読んだゼミ生と議論しました。パラダイムシフトをしたあとは、そのパラダイム(ま、色々な前提、おやくそくだと思ってください)の中でちまちまと消化試合をするしかありません(通常科学)。

 彼は『学び合い』というパラダイムシフトをしたあとは通常科学に過ぎず、ワクワクしないと言ったのです。そこで説明しました。

 『学び合い』はパラダイムシフトの連続を起こしています。今から二十年弱前に『学び合い』は誕生しました。当初は、テクニック的な『学び合い』です。でも、「教えて学び合わせる」から「子どもたちの中にある学び合う本能を邪魔しない」というパラダイムシフトをしました。その結果、それまでは数多くの段階をふんで数ヶ月から1年かけて学び合わせていたのが、4週間以内に学び合う集団が出来るようになりました。(このあたりまでは一般の先生方にも分かりやすい)

 ところが次のパラダイムシフトがあります。それは「こどもは教材やテクニックによって動くのではなく、教師の心で動く」というパラダイムシフトです。一見、精神論のように見えますが、具体的なデータによって明らかにしました。分かってしまえば当たり前のことです。我々は四六時中自分の心の中にあるものをボディーランゲージで語り続け、人はそれを読み取る能力があるということです。そうなると何をやるかでは無く、何を信じるかが重要であることが分かります。

 ところが次のパラダイムシフトがあります。それはクラスというものを超えたのです。異学年の合同『学び合い』、全校『学び合い』です。ホモサピエンスは一回の出産で生まれる人数は少ない生物です。従って、兄弟は異年齢になります。我々の本能の中にある学び合う性質は、本来、年長者から若年者が学ぶのが基本になっています。一斉指導は均質で少数であるほうが楽なのです。ところが自立的な集団を形成するには多様で多数の方が楽なのです。だから「異学年『学び合い』、全校『学び合い』の方が単学年の『学び合い』より遙かに楽」なのです。がクラスの『学び合い』しか経験したことが無い方にとっては、信じがたいと思います。この信じがたいということ自体が、このことがパラダイムシフトであることの証拠です。そして、異学年『学び合い』や全校『学び合い』によって、教師の『学び合い』を定常的に出来るという新たな地平を切り開くことが出来ました。

 同様に、特別支援の子どもを集団に受け入れた方が、特別支援の子どもにとっても楽で有効だという、多くの教師には驚天動地なパラダイムシフトをしました。

 ゼミ生にとっては、この段階は通常科学になってしまっているのです。だから連携している学校で全校『学び合い』を経験したとしても、わくわく感がないのも当然です。だって、どのような問題が起こり、それに対してはどのように対応すればいいかは、既に確立されているものです。それを知っているゼミ生にとっては、「あ、あれが起こったのね」と再確認し、それに対して定石の対応をすると、定石通りの改善が起こります。「やっぱりね」となります。

 数学は数少ない前提と論理によって果てしなく数の世界を構築できるというパラダイムに一貫してのっています。しかし、その中で数々のパラダイムシフトを起こしています。物理学は自然現象は単純なモデルによって記述できるというパラダイムにのっていますし、化学は物質は粒であるというパラダイムにのっています。しかし、その中で数々のパラダイムシフトを起こしています。

 『学び合い』の「一人も見捨てたくない」という願いと、3つの「観」は一貫しています。しかし、パラダイムシフトの連続です。それが証拠に、先に述べたように、『学び合い』を実践している方々でも、我々のゼミでごく普通に交わされている会話は、とても信じられないおとぎ話にしか聞こえません。

 ゼミ生は、「じゃあ、どうやったらワクワク出来るのか?」と聞きました。

 私は、全校『学び合い』は既に我々にとっては通常科学になってしまった。だから、次は地域コミュニティの再生がワクワク出来る地平であることを語りました。そして、その地域コミュニティの再生が通常科学になる頃には、次の課題が見えてくることを語りました。そして、教育の殻をどんどん破り、今以上に教師以外の人たちを仲間とする道を明らかにすることが次に進む道であることを語りました。

 今から三十二年前に教育研究の世界に足を踏み入れたとき、今、私が書いてあることを思いつくとは想像も出来ませんでした。自然科学から教育学に入った当初は、十年一日の学問で、百年前の文献を有り難がって訓詁学をやっている噴飯物の学問だと思いました。しかし、今は、実にダイナミックな学問だと思います。そして、数学者が数学が学問の王者だと確信し、物理学が物理帝国主義を信じているように、私は教育学こそ学問の王者だと思っています。何故なら、全ての学問は人によって生み出され、その人を生み出すのは教育だからです。教育帝国主義ですね。

 私は大学の学部では、イースト菌に紫外線や放射線を当てて、遺伝子の修復機構を研究しましたが、今は、ホモサピエンスという複雑な生物の、もっとも複雑な精神活動である教育を研究しています。もっとも面白い生物学であるとも思っています。