■ [大事なこと]敵/味方

戦争でなくても、生きていれば敵や味方がいます。本日の授業の最後にそれを語りました。それを、「賢明な味方」、「愚かな味方」、「賢明な敵」、「愚かな敵」の4つに分類しました。最もありがたいのは、賢明な味方です。これは当然です。しかし、次は「愚かな味方」ではなく、「愚かな敵」なのです。愚かな敵が愚かであればあるほど、第三者からは、愚かな敵の敵である自分が賢明に見えます。次は「愚かな味方」です。これは「愚かな敵」の逆だといえば分かっていただけるでしょうか?愚かな味方が愚かであればあるほど、敵が賢明に見えます。そして、一番大変なのは賢明な敵です。
しかし、その人が賢明な敵にとって、賢明な人であるならば、賢明な敵は攻撃しないはずです。対立を避け、協働できるところを見いだし、共存共栄になれます。
従って、注意すべきは、自らが賢明であるように努めましょう。そして、「愚かな味方」を生じさせぬようにして、周りの人を啓発・援助しましょう。そして、「愚かな敵」を刺激し、その愚かさを発信させるのです。
ま、対立に悩んでいる人に対するアドバイスです。
■ [嬉しい]増刷

「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール」が増刷になりました。ご愛顧を感謝いたします。http://goo.gl/vPMPyw
■ [大事なこと]専門性

前から不思議に思っていることです。私はもともとは高校の教師です。小学校の先生方とのおつきあいは大学に異動してからです。その先生方が「教科の専門性」という言葉を使われるのです。そして、教師として職能を高めるには、何らかの教科を定め、それを専門にしなければならないと言われるのです。最初は目が点になり、今も分かりません。小学校の先生方の教科の専門性は全科の専門性だと思うのです。
ある教科を定め深めたとしても、それが使えるのは週の数時間だけです。それ以外は専門性はないのでしょうか?不思議です。
お叱りは承知で申します。例えば教育学部の理科コース出身者が理学部出身者と太刀打ちできるわけありません。それは能力の差ではなく、システムの差です。教育学部の理科コースの学生さんは理科を二十数単位取ります。理学部は八十単位はとります。使っている機器も施設も予算も、桁1~2桁は違います。私の卒業研究では、平均的な教育学部の理科の教授の研究費の数倍のお金をかけてもらいました。そして、百数十億円をかけた施設の機械を使って研究をしました。これは他の教科でも五十歩百歩だと思います。
では、小学校の先生の教科の専門性は無いのでしょうか?あります。もの凄くあります。それは教科の総合的な教科の能力だと思うのです。例えば、理科のある問題が分かるための国語の知識・技能は何であり、逆に、国語のある問題が分かるための理科の知識・技能は何であるかは、理学部出身者には見当もつかないことです。
追伸 高校教師の中にも、特定の分野に詳しい人はいます。例えば、オサムシの専門家みたいな人はいます。しかし、そのことは趣味とは見なされますが、理科教師の専門性だとは思われません。だから、今の小学校の現状が変に感じるのです。
追伸2 ある教科を深め、他の先生に伝える役を担うことは大事です。このまえ算数を専門とされる校長先生から小学校の算数と中学校の数学の繋がり方を教えて貰いました。なるほど、小学校算数の専門性はこういうことかと納得しました。でも、小学校に全科という教科部会があるべきだと私は思います。