■ [大事なこと]批判

私に対してに限らず、個人特定する批判をする人の記事を読むと、ちゃんと情報を得て相手の立場も理解した上で批判と、何も情報を得ず、限られた伝聞や単文レベルに基づく批判をする人がいます。その差が出来るのは何故か?
人は信じたい嘘は直ぐに信じます。逆に、不都合な真実は受け入れません。情報を得ても自らの立場が正しいことを確信出来る人は、いくらでも情報を収集できます。ところが読んでいるうちに自分の立場が危ういし、反論できなくなると情報収集しなくなります。そして思考停止し、無根拠な単文で切り捨てます。ま、仕方の無いことです。
『学び合い』の授業で私が観ているのは子どもより教師です。公開授業の時は特にそうです。何を話しているかは分かりませんが、どの場面で盛り上がるかでだいたい想像できます。例えば、机の上のノートを見て盛り上がったとき、その人たちが去った後に、そこのノートを見ます。それを観れば、子どものアラを探しているのか、子どもの発想の豊かさを探しているのかが分かります。
いつもは一人ぼっちである子の周りに子どもが集まった時の様子を見た時、「あの子も関わっている」と思うか、「教えられてばかりで可哀想」と思うかは、その表情で分かります。
ま、仕方がありません。異質ですから。理解するのには苦労します。ただ、その後の行動によって首をかしげたくなる方もいます。 『学び合い』に対する行動は、クラスにおいて規格外の子どもがいた時の行動に一致するのです。規格外な子どもがいても、「面白い子」ととらえ、自由に泳がせる先生もいます。ところが規格外の子どもを「困った子」ととらえ、始終年がら年中怒鳴りまくる先生もいます。その行動は自分の理解できない 『学び合い』に対する行動と一致します。そして、後者の先生を見ると、その先生の子どもたちを哀れと思います。