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2014-10-10

[]君主 22:09 君主 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 君主 - 西川純のメモ 君主 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 これは書かない方が良いかな、と思うのですが書きます。

 多くの教員が参加する研修会の情報は私の耳に入ります。しかし、それらは専制君主が啓蒙的専制君主になる研修のように思うのです。今、本当に学ぶべきは、専制君主が民主国家における君主になるにはどうしたらいいかだと思います。もっといえば、専制君主が民主国家におけるかなりの権限を付託された公務員になるためには何が必要かと言うことを学ぶべきです。

 民主国家である日本において、教師が法的に出来ることは極めて限られています。中学校で多い、教育的な愛の鞭は、冷静に判断されれば暴行であり、パワハラです。法的な闘争に入れば、十中八九負けます。保護者が示談に応じればいいですが、最後まで闘争されれば、懲戒免職か数年間の県庁の反省部屋住まいとなります。

 エンターテーメント性を高める方向性もあります。しかし、全ての子どもに受けることはありえません。ありえる人ならば、芸人になれば良い。しかし、10年生き残る芸人が何人いるでしょうか?結局、本人は大受けのつもりでも、地方の温泉宿で忘れられた芸人が芸をして客が笑う程度のものでしかならない。

 私が定時制高校で学んだこと。教師がどんなことを思っても、子どもが納得しなければ意味が無いということです。そこで聞きます。今まで参加した研修会で、子どもが参加して欲しいと思った研修会がどれほどあるでしょうか?それが、民主国家におけるかなりの権限を付託された公務員になるための研修会なのです。

[]革命 21:47 革命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 革命 - 西川純のメモ 革命 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 西洋でも東洋でも、反乱の火の手はその社会の最下層の人たちが始めます。しかし、最下層の人たちが反乱しても革命は成功しません。革命が成功するためには、その社会の上位層が指導した時、革命が成功するのです。

 クラスの中での下位層が教師が反発するうちは、農民一揆のように早晩鎮圧されます。しかし、その社会の上位層が不満を持ち、その不満解消の手段として下位層のエネルギーを利用します。そのとき、組織だった反抗が出来るのです。

 今、学校では教師という王侯貴族が自らの利害に基づき、王権神授説のような論理で教室を支配しようとしています。昔から、それに反抗するクラスの下位層はいました。しかし、早晩鎮圧されます。なぜならクラスの中位層が同調しないからです。下位層は中位層を動かす力は無い。しかし、上位層が動けば中位層は動きます。

 本日のゼミで、ゼミ生に問いました。大学入試の忙しい高校3年生の時、教師の授業はありがたかった?と。大学院まで来る学生は一様に首を振ります。そうでしょう、ハッキリ言って邪魔です。そのことは名門高校生は、中学生は皆知っています。それが徐々に広がるのです。

 教育の世界には「出口論争」に代表される様々な論争があります。しかし、それを子どもたちが聞いたら、噴飯物です。それは「パンが食べられないならばケーキを食べなさい」と同じぐらい馬鹿馬鹿しいと思うでしょうね。

[]理想論 19:52 理想論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想論 - 西川純のメモ 理想論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が「一人も見捨てない」と言ったり、『学び合い』の根幹は「一人も見捨てない」という願いだと書けば、「理想論だよ」と思われるでしょう。しかし、私にとって理想論ではありません。おそらく、「理想論」と言われる方は、消極的にでも自分が見捨てた子どもがどうなるかを真剣に考えたことが無いのだと思います。

 クラスのポツンとして、誰とも話さない子。

 家庭が荒れていて、そのうっぷんを他の子にぶつけている子。

 知的な能力が低く、勉強が全く分からない子。

 低学年の時、怒鳴られて指導を受け続け、高学年のある時期に教師よりも大きな声で怒鳴り返せば良いことに気づいた子。

 そんな子どもがいませんか?

 その子が中学を卒業した時、どんな風になるかを想像して欲しい。私はそういう子だけを教えました。

 「一人も見捨てない」を理想論で片付けている方は、どのように考えているのだろうかと思います。おのれの趣味の教科論を振りかざし、そういう子がいることを「仕方のないことだ」と合理化してしまっている。悪気が無いことは分かっていますが、そこで見捨てられる子どものことを思えば、怒りの気持ちが沸くこともあります。

 では、どうしたらいいか?一人も見捨てないことが自分のためになることを分かった子ども集団をつくれば良いのです。これは比較的簡単にできます。唯一の障害は、教師がその意義を理解していないことです。教師は勝ち組だからです。

 見捨てられる子どもだけが不幸なわけではありません。私は大学教師ですが、大学生であっても何かがあったとたんに崩れてしまう子どもいます。もし、その子が自分は見捨てられないという確信を持てて、事実、見捨てない仲間がいればどれほど救われるか。

 とりあえずは、週1にでも、自習課題みたいな課題を与え、子どもたちに時間を任せ全員達成を求めるだけでも、変わるところは多いのです。

 もし、大けがをして道に倒れた人がいたら、電話をかけて救急車を呼ぶことは誰にでも出来ます。しかし、電話をかけることを「理想論だよ」と言って、通り過ぎる人がいたらどうおもいますか?私にとっては、「一人も見捨てない」を理想論だよと言う人をそのように思えるのです。

 自分が消極的にでも見捨てていることを自覚し、その先に何があるかを考えて欲しい。私が全ての子どもを見捨てていない、とは言いません。私の能力には限りがある。その限りのある能力のある私でも出来ることをやろうと思います。