■ [嬉しい]最先端
同志の記事を了解を得てアップします。以下の実践は、おそらく最先端を行っています。何故か、子どもが『学び合い』の考えを体現する企画を立てています。そして、教員がいいことだと思っている。
西川ゼミレベルだ。
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11月20日6時間目,いよいよ本校の第1回全校『学び合い』が行われます。これまで研究部を中心に話し合ってきましたが,今日,うれしいニュースが。
新生徒会執行部が中心となって「全校『学び合い』」を行うことができそうです。
先日任命し発足した後期生徒会執行部。
毎日,後期活動内容の話合いを行っています。
その中で「学習についても生徒会全員で取り組んでいきたい」という意見が出て,何をするかといったときに「全校での教え合い・学び合い」をやるのがいい,ということになったといいます。
企画内容は次の通り。
あらかじめ生徒一人一人が解決したいと考えている課題(わからない学習項目や学び方)を2つ持ち寄って体育館に全校生徒が集合。全員がそれを制限時間内に解決することを目標にして,自由に学習する。前に名簿があり,「解決した!」とすっきりした人は〇をつけるというもの。
はじめに会のねらいを生徒が語り,
終わりに会の振返りを生徒がインタビューする。
これをできれば月1回実施したい。
という内容でした。
特活主任から,この話を聞き膝を打ってしまいました。
こっちの方が研究部で考えるよりよっぽどいい。
いやぁ,週の最後にプレゼントをもらった感じ。
よい時間になりますようにと,応援する立場になれそうです。
※『学び合い』を前面に出して開始するわけではありません。
公開については,もう少し回を重ねることができるようになってから検討します。
■ [お誘い]『学び合い』千葉の会
12月20日に千葉で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/234623/
■ [お誘い]福岡『学び合い』の会
11月30日に福岡市で『学び合い』の会が開かれます。なお、17時より懇親会も計画しております。詳しくは担当者にご連絡ください。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/yukitokazu/20141108/1415427024
■ [大事なこと]知らないようにする
昨日のゼミで話したことです。
教師は個々の子どものことは積極的に知らない方が良いのです。と話したらゼミ生は思いっきりキョトンとしました。そりゃそうでしょう。多くの先生方が思っていることと真逆なことを言っていますから。
私が語ったのは、「知って良いことがある?」です。当然、ゼミ生は知ることによって様々な子どもの抱える問題に対応できると言いました。が、私はそう思いません。テレビドラマのように問題は単純ではありません。知って解決出来るような問題はそれほど多くありません。そして、それらは教師がわざわざ出張るものではありません。子どもの抱える問題は複雑です。そして家庭が関係するものはドロドロしたものです。
もちろん解決に至ることは出来るかもしれません。それはそのことに関わり続けるなら場です。ところが、教師は親でも兄弟でも伴侶でもありません。数十人の子どもに責任があります。全ての子どもに関わり続けることは出来ません。結局、声の大きい子ども、目立つ子どもにばかりに目が行きます。そして、それはそれ以外の子どもを積極的に見捨てていることです。
つまり、数十人の子どもに責任があると考えれば、教師は子どものことをしれないし、知っても何も出来ません。従って、メリットはありません。
逆に、デメリットがあります。子どものことを知れば知るほど、教師がぶらせてはいけないものにブレが生じます。そして、高校教師時代の私のように心を病みます。ということでデメリットが生じます。従って、個々人の子どものことは積極的に知らないようにすべきです。
そこでゼミ生は、教師が知るべきものは何かを聞いたので、言下に「集団を知る」と応えました。そして、具体的にはテストの分布です。点数分布の分散は集団の質を表し、平均点は集団のレベルを表します。実際には、さまざまなところで評価できますが、万人が出来る評価方法はそれしかないと思っています。
■ [大事なこと]一人も見捨てない
「一人も見捨てない」という言葉がなかなか分かりづらい。多くの場合は「情」や「徳」のよう思われたりします。もしくは「法」、「権利」のように取られます。しかし「得」なのです。
「情」や「徳」や「法」のように思えば、集団の中でサポートしていない子どもがいれば「なんで、見捨てているんだ」と叱りたくなります。もし、その言葉が有効であれば、クラスが暗くなります。もしくは反発を受けることになるでしょう。
しかし、「得」と考えれば、「それでいいのかな?損をするのは君たちだよ」という語り方になるでしょう。そして、どのような行動をするかを判断するのは子どもたちなのです。そう考えられるようになれば、怒りを持って語ったり、悲壮感を持って語ったりすることはありません。余裕を持って語れます。加減が出来ます。
また学び合う集団にいるのだから、自分は見捨てられない権利があると思う人がいます。そして自分が十分なサポートを受けていないことをアピールし、サポートを強要する人がいます。人が他のメンバーを見捨てないのは自分に得があるからです。もし、そのメンバーが付き合うことによってメリットが無いとすればサポートする度合いを低めます。ただし、サポートを0にしたりマイナスにしたりはしません。つまり、攻撃されない限り積極的にその子を攻撃することはありません。攻撃することは自分にとってメリットが無いからです。
そして、集団のサイズが大きければ、あるメンバーからはメリットが無いと思われるメンバーも、別なメンバーがメリットあると思われれば繋がります。『学び合い』は無理なことは言いません。全ての人と繋がる必要は無いし、ましてや全ての人と仲良くなる必要は無い。
全ての人にとって繋がることがメリットが無くても、健全な学び合う集団ならば「建前上」一人も見捨てないということを堅持することが自身にとっても得だということは分かります。
従って、『学び合い』において純粋に見捨てられる人とは、全ての人にとって繋がることがメリットが無く、かつ、積極的にデメリットがある人です。私の人生においてたった一人だけいます。その人はサイコパスでありながら、自身がサイコパスであることを隠す能力を持たない人です。残念ながらその人は見捨てられます。
「一人も見捨てない」とは自らの損得勘定で成り立っています。そしてホモサピエンスは、基本的に損得勘定が合うようにプログラムされています。