■ [大事なこと]最終講義
私は最終講義も退職の会も嫌だ。ま、周りから色々言われるでしょう。我が儘だと言うでしょうね。でも、私の大学院の指導教官はそれを押し通しました。私も色々言いました。が、今は分かります。ま、我が儘なのです。でも、年を取ったら我が儘を通したい。
■ [大事なこと]飲み会のルール
私は単純な基本ルールを自分に課します。それが良いからです。ま、単純バカの理系人間ですから。
飲み会における私の行動ルール。
私がワンノブゼムの時は参加しません。
私が一定の役割を果たさなければならない立場の時は参加します。しかし、最短で5分、で静かに消えます。
私のゼミの会は1時間半ぐらいはいます。でも、会の終わりにはいません。
上越にいる場合でそれ以降まで参加するとしたら、大学やゼミ生のために参加する必要があるときです。
以上のルールの根源的な理由は、家にいた方が良いからです。だから早く帰りたい。こう思える自分の今を幸せに思います。
追伸 その同じ理由で、とにかく出張が嫌いなのです。
■ [大事なこと]フェードアウト
私も55歳と半年です。今は、どのように消えるかを考えています。
若い頃から、これは私で無ければ出来ない、と思い込んだことがあります。ところが、いざやめてみると上手くいくのです。もちろん、やめ方が大事ですが。そして、やめることによって、その先のものが見えてくるのです。
三十代前半までは、自分の頭でバンバン論文を書きました。
三十代後半になると、院生さん・学生さんと一緒にやるようになりました。そうなると、私のパワーは数倍になります。そして、私の発想を超える結果を出してくれるようになりました。
四十代前半になると、それまでの理科教育学から離れ始めます。そうなると、教科教育を俯瞰的に見られるようになりました。そうなると教科教育とは何かを考えられるようになりました。
四十代後半から学校組織に関わるようになりました。そのため、研究室運営を学生さんにどんどん任せるようになりました。とにかく忙しいからです。ところがゼミ生は見事に乗り越えていきます。私がゴチャゴチャやるよりいい。『学び合い』のセオリーの深さがどんどん分かります。そして、組織を動かすことによって、私の願いはさらに大きくなることを知りました。
五十代前半からは自分の研究を本格的に実践に適用しました。もちろん、以前から実践と理論の往還があります。ただ、私が関わっている人は私の考えを理解しようとする人です。このころから理解したくない人とのつきあいがあります。これは学者が経験しなくて良いことです。でも、それによって、日本全国の人とつきあうことが出来ました。日本の研究者の中で他県の校長人事、教育長人事が気になる人はそう多くはないと思います。
そして、今は五十年代後半に入ります。研究の成果を実践に還元する仕事が本格的です。我ながら笑うほど本が書けます。ここで一気に進ませようと思っています。ただし、六十年代のフェードアウトをどうするかを本気で考える時期です。
江戸っ子の美学としては、きれいに消えたい。ま、惨めに消えるのでしょうけど。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20131222/1387713620
1111.26.5