■ [大事なこと]給付金
教育訓練給付制度(専門実践教育訓練)に関して、大学のHPにアップしました。ご覧下さい。http://www.juen.ac.jp/090campus/050fee/kyouiku_kunren.html
最近の制度ですが、さっそくそれを利用した方がおられます。その方の体験談です。あくまでも、その地域、その方の事例であることを理解した上でお読み下さい。出来るだけ早く地元のハローワークに相談下さい。
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<実践教育訓練給付>
ハローワークに相談して聞かれた点は次の通りでした。
・どの施設で勉強をするのか(県よって違うと思いますが、私のすむ地域に大学院で認定を受けている施設がないので、専門学校に通うのかと思われていました)
※他県での受給したい場合、申請と受給する県が異なるので要相談との事。新しい制度でまだ対応が良く分かっていないみたいです。
・勤務歴 (何年、職種、転職歴)
・仕事をいつ退職するのか
(実践教育訓練給付ではなく、教育訓練支援給付を受ける際に離職票が必要なので)
※教育訓練支援給付は申請が講座開始の1ヶ月前になっていますが、在職中の人は退職後1ヶ月までに申請とのこと。
・ジョブカードをもっているか
・研修・訓練後の就職予定。予定先。希望。
・失業給付は就職活動をしないので支給出来ないが大丈夫かどうか。
でした。
その後、電話でキャリアコンサルタントと連絡を取りアポイント取得、面談しながらジョブカードを作成します。通常、2回以上の面会をしながら作成します。(私は面会2回、電話での話が4回)目的がはっきりしていないと時間がかかるとキャリアコンサルタントがいっていました。担当者によって対応はかなり変わる可能性があります。
<ジョブカード作成時>
1回目の面談までにジョブカード資料を電子・紙媒体で作成して持参。
(面会内容)
・なぜ離職し給付を受け勉強をしたいのか
・研修・訓練後の就職予定。予定先。希望。
※基本的には1回の面会が2時間ぐらいでした。
(私の地域はハローワークで面会をしないといけない決まりになっている。そのため面会は平日5時までしか面会できない)
※1回目の面会は面談が主。キャリコンも面会内容を記録として残すので相手の詳細確認です。
2回目の面会で資料内容の訂正確認。パソコンを持っていったのでその場で訂正し、ジョブカード完成。
<ハローワークで申請>
基本的に全ての資料をそろえ提出するだけです。
※ジョブカードも提出するのでコピーをとっておいた方がいい。
※金融機関の通帳も必要です。受給を受けるのに下ろしやすい郵貯や大学院ちかくの新潟近辺の地銀、大手機関がおすすめじゃないかとの事でした。
結果が郵送で送られてくるそうです。
私の場合は、4月に住民票を上越に移し上越所で再度受給の相談する必要があります。また離職票をもらったら、1ヶ月以内に教育訓練支援給付の申請をする。
■ [大事なこと]今できること
本日、来年から教壇に立つゼミ生が「4月までにやれることはなんでしょうか?」と私に質問しました。実に心地よい。私も同じ質問を恩師に聞きました。そして、その時の表情は、ゼミ生の表情と同じです。なすべき事をなしきった学生の表情です。
わたしのアドバイスは、「新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます」(http://urx.nu/huya)と「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール」(http://urx.nu/huyF)を読みなさい。です。
理由は、新任1年目はもの凄く大変だということを知っています。今から何かをやっても間に合いません。今から準備をしても、まあ、1週間ぐらいで破綻します。
では、どうするか?とにかく、上手くごまかすしか無いのです。この時期に、教材がどうのこうの、指導法がどうのこうのと言っても無理です。それは、十年選手が指導主事訪問の授業を毎日せよと言われても無理なのと同じです。
10の仕事をしなければならないとしたら、10を用意することでは無く、1を10のように見せることが大事です。その代わりに、職員室で挨拶をちゃんとやる方が大切です。そんなことを「新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます」に書きました。そして、その先を「なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール」に書きました。
新人用の書籍ですが、中堅で、ここで書かれていることをちゃんと出来る人は半数もいません。しかし、それでも生き残れます。しかし、充実した毎日を過ごせません。最悪、子どもと保護者の悪口は饒舌な教師になってしまいます。
追伸 昨日、「新任1年目を生き抜く 教師のサバイバル術、教えます」が発売されました。
■ [大事なこと]再来
昨日の話です。国語教育学の偉い人と一日中話したとき、色々な話が出ました。その中で「大村はま先生の再来と言われる人だ」という表現で、ある方を表現していました。
ど素人の私は、「大村はま先生の再来とは、大村はま先生のどの属性に基づくものなのですか?どう考えても全集を書けるような年では無いと思いますが」と聞きました。
その方はニコニコしながら「準備万端の授業をする人っていることですかね」と仰いました。ただ、この話に関しては、根拠のあるデータによる学者としての発言では無く、感性に基づく発言と感じました。
でも、それを聞いて、さもありなんと思いました。あれだけの著作をなす方です。もの凄い背景をお持ちなのでしょう。そして、それを一人で構築されました。毎日の授業が準備万端なのだと思います。
さて、私の立場です。
私は、そんなこと出来ません。そして、私より若い人の多くもそうだと思います。だから、五十半ばの私がすべきことは、大村はま先生みたいにはなってはいけません、というべきだと思いました。赤の他人にとっては大村はま先生みたいな先生がいて欲しいと思うかもしれません。でも、大事な人がそうなって欲しいとは、私は思いません。
きっと、この発言を嫌う人はいるかもしれないけど、私の言うべきことだと思いました。
追伸 その先生は、言い終わった後で、「大村はま先生の再来と言われる人はいっぱいいるけどね」とニコニコしました。そうだと思います。あんな先生がそういるわけありません。
■ [大事なこと]同じ教材
昨日は国語教育学の先生と一日仕事をしました。その合間に色々なことを教えてもらいました。国語というネーミング自体が非常にまれなネーミングであるということをしりました。このようなネーミングは日本と日本の植民地支配を受けた国ぐらいなのだそうです。じゃあアメリカはといえばイングリッシュで、中国はチャイニーズなのです。つまりアメリカと同じに表現すると、日本語が相当なのだそうです。そんなのたいした違いが無いと思ったのですが、日本史を国史と表現してみるとそのニュアンスが分かると教えてもらえました。納得です。
じゃあ日本がナショナリズム一辺倒なのかといえば、先進国の中で日本ほど外国作品を教材にする国は無いそうです。また、共通テストの題材はイギリスだとシェークスピア、ドイツだとゲーテが定番なのだそうです。
また、長年の疑問をその方にぶつけました。それは、何故、様々な国語教科書で同じ教材が扱われるかということです。その方によれば、全ての教科書で扱われる教材はそれほど多くは無いそうなのですが、複数の教科書で扱われる教材は少なくありません。そして、その理由は「現場の先生方が一度教材研究をしたものを使い回しにしたいから。つまり、教材研究をしたくないから」とのことでした。凄く納得しました。
残念ですね。今の学校教育は、教師が知れば知るほど教え方がうまくなると思っています。しかし、知れば知るほど、やればやるほど、分かる人が少なくなるのですが。
違う分野の先生とゴチャゴチャと雑談すると学ぶことが多いと感じる一日でした。
■ [大事なこと]素直に
ある現場の先生から、私が子どもを見取っていないと率直に指摘されたことがあります。それは体育館での全校『学び合い』で、ある子どもが不満に思っていることを私が見とれず、全体的に良かったと評価した際に言われました。
その通りです。学校現場の先生方はプロだと感じることは多いです。子どものノートをちらりと見たとたんに子どもの誤解を見取ることが出来ます。そのようなことを先生方がごく普通に話し合っているのを見ると、すごいな~っと思います。その面では勝てないし、勝てるとも思いません。もちろん、教科の研究者の中には大学の先生なのに、現場の先生より見取る能力の高いかがいます。その現場の先生方と同質の見取りで勝る先生が尊敬されます。
しかし、一方、私の強みもあります。一般に一人一人の子どもの見とれるのですが、集団全体の見取りが出来る方はもの凄く少ない。以前の研究で言えば、郡市で数人レベルの方しかいません。そのレベルの見取りに関しては私は勝っていると思っています。何故、私が勝っているかと言えば、子どもたち全員にICレコーダーをつけて、数ヶ月以上の会話を西川研究室という集団が分析した結果を二十年以上積み上げた分析に基づいているからです。これは、一人の教師が百年実践しても得られない情報です。それをもとに理論構築します。
理論はいいものです。なぜならばあることをコンパクトに表現することが出来ます。例えば、ある教材における子どもの誤解を見取るノウハウをまとめることは出来ます。しかし、それは教材ごとに変わります。結果として教師が教える内容全体でそれを出来るようになるとしたら膨大な情報が必要です。が、理論はそれをコンパクトにまとめることが出来ます。例えば、最近出した見取り入門はその一例です。
理論には膨大な背景があります。それを理解するにはその膨大な背景を理解しなければならないのです。でも、それは大変です。だから、理論に基づいた結果を応用する場合、とりあえず理論は疑わず、その通りにします。
例えば、マイナス×マイナスがプラスであることを数学的に証明することは出来ます。しかし、多くの場合は、マイナス×マイナスはプラスと疑わず使います。もし、自分の感性で、「まあ、プラスの時もあるよな」と判断したら無茶苦茶なことが起こります。
例えば、『学び合い』のノウハウを書いたステップアップにはネームプレートを使うことを書いています。ところが使わないで実戦を始める方がいます。気持ちは分かります。何故、私がネームプレートを使うことを勧めているかといえば、「子どもたち」が誰が出来て誰が出来ないかが分かるためなのです。しかし、誰が出来て誰が出来ていないかを分からなければならないのは「教師」だという旧来の枠組みにいると、自分が机間巡視で分かるのだからネームプレートは無くてもいいと思ってしまいます。
でも、このレベルの理由付けをノウハウ本に書いたら、大全集レベルのボリュームが必要になってしまうのです。
学力向上に関して、私は多くの同志にテストの点数を上げて下さい、と十年以上前から言い続けています。でも、「まあ、テストの点数はそれほどのことではないので」とほほえまれるとそれ以上は言えません。でも、何を理解していないかといえば、テストの点数の分布はクラス集団のトータルなレベルを示すものであることなのです。私はテストの点数自体に意味がそれほどあるとは思いません(子どもや保護者にとっては大事ですが)。しかし、テストの点数の分布が示すものはもの凄く大事なものなのです。
また、教科の本質を大事にして、テストを馬鹿にする方がおられます。気持ちは分かります。繰り返しますが、私はテストでとおているものが凄いとは思いません。もっと大事なものがあることを知っています。しかし、それらの凄いものを、全ての子どもに経験させようとするならば、教師がゴチャゴチャ手を入れない方が良いことを知っているのです。何故知っているかといえば、先に述べたように、子どもたち全員にICレコーダーをつけて、数ヶ月以上の会話を西川研究室という集団が分析した結果を二十年以上積み上げた分析をしているからです。
私のいうことは真実である、とはいいません。しかし、最初はそれをやって下さいと願います。不遜ながら申します。どんな優れた教師、大村はまや斎藤喜博レベルの教師が100年教師をやったとしても得られない情報に基づいて、毎年約二十人で二十年以上の蓄積でできあがったものなのです。
とりあえず、そのままやってください。