■ [大事なこと]不自然

オックスブリッジの問題やバカロレアの問題を読めば、素敵です。しかし、我が国にいま適用した場合、不自然になるように思うのです。
あれば小学校高学年ぐらいから多様な読書を行い、色々な人と議論した人には楽しいし、やりがいのある問題です。でも、日本の多くの子どもはそのように育っていない。そして、小学校高学年からそれを開花するような教育は、しばらくはしないでしょう。
ある雑誌には子どもを海外の学校で育てることを薦めていました。おそらく、それは賢い選択です。でも、海外で育ては得るものもありますが、日本人として大事にすべき常識を学べません。つまり、日本人の顔をしていますが、日本人で無い日本人が生まれます。その人たちが日本のエリートを占めるのは不自然です。
今しばらくは、ググれば直ぐ答えが分かる「基礎的知識・技能」を大事にする教師がいるでしょうね。その中では、基礎的知識・技能の獲得を『学び合い』でやることが自然と思います。そして、教育の文化が変われば、それに対応すればいいです。
でも、本質的な問いです。
哲学や教養を大事にしている、イギリスやフランスを我々は憧れますか?私は憧れません。私は今の日本は問題があるが、イギリスやフランスより日本が私が住みたい国です。ですので、その国になろうとすることが本当に良いことかと疑問に思います。他国をまねるより、日本のシステムを改良する方が最適解に近いように感じるのです。
■ [大事なこと]見取り

『学び合い』ではもの凄く子どもを見とれます。理由は簡単です。子どもが素を出すからです。遊ぶ子どもは遊ぶ。いい加減な子どもはいい加減なことをする。『学び合い』をしたから遊ぶのではありません。『学び合い』をしたからいい加減なことをするのではありません。一斉指導の中でも遊び、いい加減なことをします。でも、一斉指導の黙っていて座っていると分かりません。『学び合い』ではそれが分かります。
詳しい見取りのノウハウは本をお読み下さい(http://goo.gl/GK212H)。分かってみればバカみたいに当たり前で単純なノウハウなのです。
■ [大事なこと]憲法9条

宗教と政治の話しはいきり立つ人が少なくないので避けています。が、書きたくなったので書きます。最初に申しますが、どちらの立場にも立っていません。ま、それを説明します。
新聞を読んでいると、政府が自衛隊の運用に関して色々と改訂しようとしているはずです。最初に申しますが、政府の立場も、それに反対する人たちの立場も、それなりに理屈があり、その是非を云々出来る知識は私にはありません。だから、積極的な賛成でもないし、積極的な反対でもありません。
ただ、不思議に思うのです。
今回の政府の案は「憲法違反」なのでしょうか?憲法違反であるならば最高裁に訴えれば良いことだと思います。我が国において憲法違反であるか否かを決められるのは最高裁であると憲法に書かれています。
ところが、そのようなニュースが無いところを見ると(知らなかったらごめんなさい。でも、最高裁が違憲であるという判断は出ていません)、反対する方の意見も「解釈」のレベルのように思います。憲法で容認されている解釈の違いならば、その時々の政府に任されており、それを国民が審判すれば良いだけのことです。いや、憲法違反であるというならば、最高裁に訴えれば良い。さっき書きましたように、そのように憲法が定めているのですから。
もしも「解釈」ではなく是非をハッキリさせたいならば、憲法を憲法の定めに従って変えれば良いだけです。つまり、政府の案に反対する人の側からも、最高裁が違憲であると判断出来るような憲法に変えるべきだと思います。
そうするつもりがないならば、解釈の範囲内で運用するしかありません。
で、なんでこんな政治的なことを書いたかというと、上記のことが中学校の校則のように感じられて嫌なのです。わかりにくいと思いますが、憲法を変えないことが護憲であり、正しいという論には、私は乗れません。もちろん、私は積極的な賛成でも、積極的な反対でもありませんから憲法を変えようなんて思いません。でも、絶対に変えないというのは、国民を見くびっているように思えるのです。
私は国民の英知を信じています。なぜ、それに訴え、判断を仰がないのかと思います。これって中学校の生徒指導に似ているように思うのです。
■ [大事なこと]電子教科書

電子教科書が導入されるとどうなるか?それを妄想します。
各社の教科書は1冊いくらという限定があります。だから、自然とコンテンツの上限が決まります。でも、電子教科書ならばそれの限定がありません。例えば教科書にリンクを張ればいくらでも広げることが出来ます。つまり、検定の対象はどこまでかが曖昧になってしまいます。もし、それが曖昧になれば、内容を規定出来なくなります。そうなるとバカロレアのような外部資格によって内容を規定することになるかも知れません。もしかしたら、それを狙っているのかも知れません。そうなったら、教科書会社にとっては毒まんじゅうになる危険性があります。
電子教科書と電子黒板は全然違います。後者は一斉指導のツールです。ところが電子教科書は子どもがどんどん使えるのです。教師がコントロール出来なくなる可能性が高い。もちろん、コントロールしようとするでしょうね。でも、そうしたらものすごく効率の悪いものになります。そんだったらペーパーベースの教科書の方がまだましです。
■ [大事なこと]租界

デジタル教科書が本格化する。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150512/k10010076871000.html)
このことの意味がどれほどの意味があるかを殆どの人は分かっていないだろうな。清朝が租界を認めたとき、それがどれほどの意味があるかを理解していなかっただろうな。清朝の支配地に比べて租界は芥子粒ほどの広さも無い。しかし、それによって清朝全土は植民地化した。
現在の検定制度も、一斉指導の価値観も、有名無実になるのに。