■ [大事なこと]信心
私は中学校頃から様々な聖典を読み、宗教関係の本を読みました。でも、絶対的な帰依が出来ません。だから、亀井勝一郎が大好きでした。本日、同志の記事に誘われて、佐々木閑さんの「ブッダ 最期のことば」を読みました。100分で読めるとタイトルに書いてありますが、30分で読めます。ということは私にフィットしているのだと思います。もともとは組織論に興味があるために読んだのですが、科学と宗教の関係を書いてある、最後の部分が一番好きです。
人は救われたい。だから、人を超えた存在に頼るのが宗教であると佐々木さんは書いています。しかし絶対者の存在で説明するのは困難になり、やがて様々な宗教は原始仏教のように「自らの心の中」にそれを見いだそうとすると予想しています。とても素敵です。でも、自らを信じ切れるほどの人はそれほどいない。そこでサンガという組織で保管しようとしたと説明しているように思うのです。
そのサンガを拡大解釈したのが今の仏教のように思います。でも、やはり原始仏教のサンガと同じように特殊化した組織のように思います。つまり、それなりの修行をした集団を信じたいと思うのが普通です。
でも、私は、救いはごく普通の人の集団の中にあると思っています。何故なら、人の幸不幸は生存競争の結果としてプログラムされていて、そのプログラムはごく普通の集団内の交配の中で固定化されていると思うからです。だから、多様な人と折り合いをつけることが救いの道だと思っています。
もちろん、人を超えた存在を否定するつもりはありません。我が家でも毎日、神仏先祖に敬意を払っています。でも、それと矛盾無く、多様な人と折り合いをつけることは素敵なことだと思います。
「だから、宗教に間違われてしまう」という同志の声が聞こえそうですが、久しぶりに読んで良かったと思う本の余韻で、書きたくなりました。私はブッダがもっと好きになりました。
■ [大事なこと]入試
上越教育大学の開学当初、建学の志が熱い人たちで満ちていました。その時、全ての受験生に実技を課し、その点数を重視しました。本学が初等教育養成課程だからです。しかし、そのために5教科の成績が高い子が落ちました。地元の進学校が送った子どもが落ちたのです。そのため、その学校からは殆ど受験する子がいなくなりました。気持ちは分かります。進路指導の先生が予想がつかない学校を勧めるわけないですから。
今、大学は入試を改革することが求められています。しかし、進路指導の先生が予想不可能な方法を採れば、上記の通りのことが起こります。そんなことを考えなくてもいいのはスーパーグローバル大学に選ばれるような大学だけだと思います。
じゃあどうするか?以下で書くことは法的に可能かどうか分かりませんが、思いつきです。
AO入試、推薦入試が今批判されています。怪しげなAO入試塾もあります。その根本的な問題は、基礎学力を測っていないことによると思います。だから、推薦入試の際、センター入試が何点以上等の条件を最初に明示するのです。私はかなり高めでもいいと思います。そうすれば人数が限られます。そして、かなり大胆なアクティブラーニング的な入試をするのです。試験期間は2日ぐらいかかるようなものにするのです。その試験自体が、受験生のキャリア教育になると評価されるようなものにするのです。
例えばです。受験生を4人ぐらいのチーム編成をします。地域的にばらけさせます。ただし、彼らの連絡を取れ合えるよう学校で開設した受験用のメールアドレスを配布します。そして、それで連絡を取れるようにします。そのチームは附属小中学校で2回授業することを求めるのです。1日目の午前中に集合させて授業検討させます。午後の5、6時間目に授業をさせます。その後、大学の宿泊研修施設もしくは妙高少年自然の家で宿泊します。そして翌日の10時まで授業改良をします。そして、二日目の5、6時間目に授業するのです。つまり4人が1回は授業をします。大学は、その授業検討の様子や、授業で評価します。
こんなテストをすると言って受験生が受けてくれるかどうか分かりませんが、受けてくれるとしたら、とてつもなく光る人と、箸にも棒にもかからない人だと思います。両者の違いは分かりやすい。
ま、妄想です。