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2015-07-30

[]楽 21:36 楽 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽 - 西川純のメモ 楽 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、学部3年生とゼミしました。そこで、何故、『学び合い』をしない理由を周りの学生さんに聞いたそうです。その理由は「やりがいがない」という答えです。私は大爆笑です。ありがちです。池田修さんの「教師になるということ」という本に、教師には2種類あることを指摘しています。一つは「子どもが好きな教師」、もう一つは「子どもを大人にすることが好きな教師」。前者は子どもは常に子どもであって欲しいのです。それと同じですね。

 私は、私が何もしないのに上手くいくのが大好きです。子ども集団が大人として信頼できる存在になることが大好きです。私のゼミ運営はそれを基本としています。

 『学び合い』は科学をモデルにしています。だから、シンプルな理論を構築します。そして、それを明文化します。それによって『学び合い』が属人的にならないようにしています。『学び合い』の会も組織図も定款もありません。正直、しっかりとした組織を作るべきではないのかという意識を一瞬持ったことがあります。しかし、科学をモデルにするならば、それが形骸化の始まりです。今にしてみれば、よかったと思います。

 今回の『学び合い』フォーラムに関して、私は何も知りません。それだけではなく、全国の『学び合い』の会は私と無関係に動いています。今から5年前ぐらいは、私が全体を把握し、私が何かをせねばという気持ちもありました。今はありません。とっても楽です。

 じゃあ、何をすべきなのか?

 「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。」というドラッカーの言葉が大好きです。研究者の私は過去の自分を陳腐化することです。『学び合い』の同志が「どん引き」するようなことを考え続けることだと思います。

 『学び合い』フォーラムに関して、主催者という意識は全くなく、参加者の一人であるという心地よさを感じ、書きたくなりました。あ、もちろん、最初の挨拶はちゃんとしますから。

[]二代 21:36 二代 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 二代 - 西川純のメモ 二代 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から十数年前に修了した院生がひょっこり顔出しました。理由は、お子さんが上越教育大学のオープンキャンパスに参加するからです。あの頃は幼児だったお子さんは高校3年生になっています。私も年を取るのは当然です。

 私の部屋がごちゃごちゃしたので、ゼミ生の一杯いる部屋で会いました。

 うちのゼミの文化はかなり変わっています。私のゼミを、寝転びながら私と会話するのです。私とゼミ生と中学生レベルの馬鹿話をします。かなりビックリされたと思います。ま、そんなバカなゼミもありますが、しっかりしたゼミが大多数です。私が自信を持って推薦できる職場に勤めていることを誇りに思います。

[]業務連絡 19:36 業務連絡 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 業務連絡 - 西川純のメモ 業務連絡 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、大学院を修了した方々へ。

 免許更新講習は10年ごとですが、新たな免許を取得した段階でリセットされるのです。つまり、修了と同時に専修免許を取得すればリセットです。ただし、これは県に連絡する必要があります。詳しくは県にお問い合わせ下さい。

 大学院進学の特典の一つです。

[]苛立ち3 08:53 苛立ち3 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 苛立ち3 - 西川純のメモ 苛立ち3 - 西川純のメモ のブックマークコメント

「戦争を宣言するのは老人であるが、戦って死ぬのは若者たちだ。しかし勝利の栄光は 老人が取り、苦しみや悲しみは若者の分になる。」

H.C.フーバー(1874~1964、アメリカの第31代大統領)

 これは大学、もしかしたら小中高にも当てはめると。

「熟慮検討する(つまり何もしない)と宣言するのは老人であるが、対策が後手後手になって問題が重篤化したあとの後始末をするのは若者たちだ。しかし自分を変えないという楽は老人が取り、失業の苦しみや悲しみは若者の分になる。」

 私がイライラするのは年長者なのです。管理職になり、変えられるのに、現状の延長上しか想定できない無知。自分の想定を超えたものに対して恐れから拒否する愚かさ。

 これが成立するのは、実は若者が無知で愚かだからです。残念ながら。

[]苛立ち2 07:22 苛立ち2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 苛立ち2 - 西川純のメモ 苛立ち2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 文系学部の縮小を文科省は各大学に求めました。それに対して絶対反対の大合唱です。大学人の端くれとして残念に思います。大学の100%が絶対反対の大合唱をしても勝てないからです。何故なら、国立大学の予算を握っているのは国で、私立大学の予算を握っているのは学生及び保護者だからです。それに依存せず、大学自体が資産を持ち、膨大な寄付を貰える大学は日本にはまだありません。

 文科省は文系学部を無くすことが主目的ではないのです。問題は、社会に対して説明責任を果たせと言うことです。これは当然だと思います。もちろん、今のところは大学人の説明を受け入れてくれる人も少なくありません。しかし、今後、それが成り立たなくなる。具体的には卒業生が就職できなくなるという事実を突きつけられ、結果として学生や保護者から見放されることが目に見えています。それを老婆心で文科省は言っているのだと私は理解しています。

 だから正しい反応はアドミッションポリシー・カリキュラムポリシー・ディプロマポリシーを確立することです。名前を伏したとしても、それを読めば、「あ、○○大学ですね」と言われるような3ポリシーを確立するのです。そして、それが達成したか否かの客観的な方法を明示し、3ポリシーを操作的に定義するのです。その操作的に定義されたことが、社会に求められるジョブに一対一対応すること。これが成り立てば文科省は何も言いません。

 大多数の大学の管理職は上記を知っています。だから、反対している教員を無視して改革を進めるでしょ。進めないところは潰れます。

[]苛立ち 07:04 苛立ち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 苛立ち - 西川純のメモ 苛立ち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の最近の苛立ちを表現すると以下の通りです。

 今、教師が大事に思っていることは5年後の大学入試にはあまり意味が無くなっている。そして、大学に行かない子どもには全く意味が無い。そして、大学に行く子も含めて全ての子どもに関して、三十年後には全く意味が無い。そんな意味が無いものを教えている理由は、変わりたくない教師のエゴイズム。

 悪気はないです。だから、早めに気づいて欲しい。だって、気づきが遅れれば子どもは不幸になります。そして教師も不幸になります。

 私が『学び合い』研究に入る前の二十年前に、理科嫌いの家内に「なんで理科を学ぶのか?」と問い詰められました。ちなみに家内は元教師でした。私は大学、大学院で教えられ、教師の世界や学会の世界で認められている説明をし尽くしました。しかし、非常に単純な論理で論破されました。自分のよって立っていた前提がこれほど無力であることを思い知らされました。最後に私が言った説明、「理科がなくなると俺は失業してしまう(私は当時、理科コースに所属していました)」というものです。家内は納得してもらいました。理科教育学で膨大な論文を書き、本を著し、学会から学会賞をもらった私がその程度なのです。

 昨日、学生に未来の教室の悪夢を語りました。今ある職業の半数以上は数十年以内になくなるという話は聞いたことがありますよね?実は教師も無くなる職業の一つなのです。それをリアルにシミュレーションしました。具体的には、成績上位層の保護者(医者や弁護士等)が礼儀正しく、「成績中位の子どもに合わせた授業では、我が子の学力保証が出来ない。ついては、先生の授業は邪魔しないので、こちらで用意したタブレット端末で勉強させて欲しい」と校長と担任に申し入れるのです。反転授業の行き着く先は、全転授業になります。私は現状のネット上のコンテンツの実態を語り、近未来のコンテンツを語りました。その時、どう返答したらいいかを聞きました。みんな黙ってしまいました。ある子が「でも、一人でも許したら、誰も私の授業を聞いてくれなくなる」と言ったので、私は「それは、あなたの都合だよね。学校教育は教師のためにあるのではなく、子どものためにあるんだよ」と言うと黙ってしまいました。学生さんは重苦しくなりました。学生さんには「タブレット端末に出来るようなことはタブレット端末に任せればいい。所詮、ツールじゃないか。今の授業だって鉛筆を多くの時間使っている。教師が鉛筆を作って子どもに配布するなんてバカなことはしないよね。鉛筆が売ってあるなら、それを使えばいい。タブレット端末の方が有効な部分は任せればいいんだよ。じゃあ、教師は何をすればいいか。それはタブレット端末、また、タブレット端末に写っている教師には出来ないことをすればいい。それは人の道を語ること。具体的にはクラスはチームであることを語ること。そして、子どもたちのやる気に火をともすこと。君らの多くは経験済みだよ。部活だよ。今後の教師は部活の顧問のような立場になるべきなんだよ」と言いました。が、既に子どもたちの頭の容量は一杯一杯なので、最後の言葉の意味は分からないようでした。

 これから数年の私の仕事はこのことを語ることがメインになるように思います。多くの教師は学部1年の学生さんのように、それを理解するよりも、拒否するでしょう。ロスの悲嘆の四段階説のように(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20150608/1433714262)。しかし、それを受け止められるイノベーターとアーリーアダプターはいます。

 オレンジの自由化の経験を思い出します。それ以前は、オレンジはバカ高い価格でした。1個のオレンジを今のプリンスメロンのようにいただいていました。ところが、ある日からミカンと同じように食べられるようになりました。オレンジの価格は保護関税という仕組みで守られていたのです。その関税が撤廃されるのを知っている人が、オレンジを買い込んでいる人を見ていたらどう思うでしょうか?私は、そんな気分でネットサーフィンをしています。