■ [大事なこと]中庸
例えば、です。
教員養成、教員研修は大学と教育委員会が協働することはとてもいいことですよね。だれからも反対されることではありません。
日本中には教員免許状を出している大学は山ほどあります。
それらの学校は協議の場に入れるのでしょうか?
都会の私学は全国レベルに学生を卒業させています。
そのような大学は、卒業生の都道府県の全てに協議の場に立てるでしょうか?無理です。
想定されるのは、その都道府県の国立大学と教育委員会との協働でしょう。
でも、協働が密になれば、それ以外の大学が入れなくなります。
が、開放性教員養成の原理原則に反します。
ということで、ちょっとでも具体的にシミュレーションすれば、「?」がわきます。
が、おそらく中庸になるでしょう。
だから、別表レベル以下のことが気になるのです。
■ [大事なこと]お達し
教員養成に関わる人にとって、それも若い人にとって重大なことが決まりつつあります。衣の下の鎧がチラチラ見えます。この手の文章の最初の半分、三分の二は美辞麗句です。後半の別表あたりがポイントです。ドキドキしながら読みました。でも、本当のところは文科省に出す書類に何が求められるかです。それによって、多くの人の人生が決まります。
■ [お誘い]『学び合い』太田の会
群馬県の太田市で開かれる『学び合い』の会の1月以降の予定をお知らせします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/nome2733/20151229
■ [大事なこと]6.5%
私の書いた特別支援教育の本をお読みの方だったらおなじみのことを書きます。
文科省の統計によれば、通常学級に在籍する発達障害の可能性のある子は6.5%いるそうです。その数は統計をするたびに上がります。特別支援学校、支援学級に在籍する子どもは1.5%ですので、全体の8%は発達障害もしくは発達障害の可能性のある子なのです。その子達は大人になります。その障害をもった大人になります。つまり、日本人の約8%は発達障害を抱えている人なのです。
8%とは一千万人です。それは東北6県の全人口よりも多いのです。
ちょっと変だと思いませんか?
文科省の統計はどのように調べたかを読んで下さい。色々書いていますが、決定的なものは学習に困難に感じているか否かなのです。そして、子ども当人に困難であるかを聞いていないのですから、担任が困難を感じているかで決めているのです
私の耳には色々な情報が流れてきます。
ある教師が担任になると、次から次とクラスの子どもを特別支援学級に送るのです。校長が「全員、特別支援学級に送るつもりか」と怒ったそうです。ところが、担任が代われば、全然問題なくクラスの中で育てられます。
ある学校のことです。もう一人の子どもが特別支援学級に入れば、特別支援の加配が得られると言うことで、全担任にもう一回洗い直せと指示が飛んだそうです。
私の理想は特別支援学級、特別支援学校が限りなく無くなることです。そのために、全員一律のものを求める教育を何とかしたい。減点方式では無く、加点方式の教育を成り立たせたい。そこでの学級の姿を、『学び合い』の学級で見ているのです。自分の力量のなさに涙が出ます。
あるクラスに専門家が知的発達障害であると認定した3人の子どもがいました。そのクラスに私のゼミ生が入り『学び合い』の実践を行いました。その結果、3人とも成績が上がり、満点を連続するようになりました。最初は喜びました。が、申し訳なくなりました。
その子が満点の答案をもらったらどんなに喜ぶでしょう。その答案を見た保護者はどう思うでしょう。喜ぶでしょう。しかし、我々はそのクラスにずっといられない。我々がそのクラスからいなくなれば、元の木阿弥になります。「アルジャーノンに花束を」の世界です。
私が小学校3年生の時に、担任は我が母に私が知的な障害があると言いました。ま、言われても仕方が無い私でした。でも、私は知的な障害があるわけでは無く、今の学校教育にフィットしていないだけなのです。『学び合い』では自由な学びがあります。だから、そういう子どもが発達障害のラベルをはがすことが出来る。
本当に特別な支援を必要とする子がいることを否定しません。しかし、8%は多すぎる。余裕の無い教師によって、量産されている。それが恐ろしい。そして、本当に特別な支援を必要とする子に「も」本当に必要なのは四則演算ではなく、仲間だと思っています。作業所の人としか話せない人生を約束されているとしたら、それは耐えられない。
これが私の問題意識です。
私は「今」何できるか否かでは無く、30年後、40年後の人生を幸せに生きるために、その子達に何が必要かを考えています。すみませんが、現状の特別支援教育において決定的に欠けているもののように思います。四則演算が出来なくても生きられます。私はこの十年間筆算をしたことがありません。しかし、仲間がいなければ、幸せにはなれません。
(残念ながら、上記の本は他の本と違ってバカ売れしません。理由は先に述べたように、特別支援教育の人があまり読まないからです。そして、その理由は、今の特別支援教育の方向と逆の方向に進む本だからです。お読みになれば分かります。)
今、上記を超える成果を上げるべく、一人の仲間が深い深い闇の中でもがいています。私ならば、1日として耐えられない深い闇の中で。
■ [大事なこと]戦略
私はかなり戦略的に動いています。
4年前の講演です。
https://www.youtube.com/watch?v=OXB9tcZDIAE
おそらく、身内からの「うけ」が一番悪い講演だと思います。それから4年たちました。やっとアーリーマジョリティ向けの戦略を本学的に着手することが出来るようになりました。4年かかりました。でも、4年で、ここまで来ました。
■ [大事なこと]破壊的イノベーション
受験産業を見ているとクリステンセンの破壊的イノベーションを考えてしまいます。
何が何だかわらないうちに凋落した駿台、市場から撤退した代ゼミ。残ったのは東進、河合塾、Z会。でもやはり持続的イノベーションの罠から逃れられない。アクティブ・ラーニングも、一般受けするアクティブ・ラーニングでなんとかしようとしている。その理由はクリステンセンが言っている理由そのもの。その中で、Z会が破壊的イノベーションを模索している。本体は持続的イノベーションでいながら、一部で破壊的イノベーションを模索している。最近のZ会の記事が面白い。http://www.zkai.co.jp/ikkan/cp/2016.html?trflg=1
じゃあ、受験産業における破壊的イノベーションとはなんだろう。
ある東京大学の学生さんから、学内である試みをしたいので東京大学の先生の中で良い先生はいないかと問われました。私の返答です。東京大学の場合、教員よりも学生さんの方が優れているから教員なんかに頼る必要性はありません。自分たちが主体的に外と繋がればいい。
一流校で得られるもの、それは志の高い、多様な友に出会えることです。一流校が良質の教育を与えるとは限りません。人事交流のある公立校の場合は当然ですね。進学校専門の教員がいるわけではありませんから。ただし、受験エリートだけ集団ではなく、多様なメンバーのネットワークが必要です。
以上のビジネスモデルを「今」の顧客に納得させるのは難しい、と大企業は思い、持続的イノベーションから逃れられず凋落する。「今」の顧客に納得させる必要はありません。ニッチな市場ではじめ、それをメジャーにすればいいのです。
教育内容・教育方法の改良ではなく、学修者集団をどのようにつなげ、彼らにどのようなミッションを与えるか。そこが破壊的イノベーションだと思います。
ファイト!