■ [大事なこと]まとも

人と違うことをすれば、「まともでない」と思われるのは当然です。
しかし、本当はまともなのだけどまともではないと思われているのか、実際にまともでないのかを判別する方法は、「まわりからは、まともと思われている人」と繋がれるか否かでわかります。その人は、あなたと同じように考えているのですが、まともに思われる術を知っている人です。そのような人がいたら、その人の影に隠れ、その人のアドバイスを受けて行動しましょう。もし、そのような人と繋がれないとしたら、まともではありません。簡単に言えば、同じ職場に仲のいい同僚がいるか否かでわかります。
ただし、まともではないのは、自分の信じていることがまともでないのか、自分がまともでないのかは、それは自分の信じていることと同じことを信じている人との比較でわかります。もし、自分の繋がれる人が比較して少ないならば、自分がまともではないのです。もし、同じことを信じている人が、みんな「まわりから、まともと思われている人」と繋がれないならば、信じていることがまともではないのです。
前者ならば、反省して、改善しましょう。おそらく、社会人として守るべきことを守っていないのです。後者ならば、それを信じることを止めるべきです。
■ [大事なこと]顧客

『ベンチャービジネスにとり、最大の危険は、製品なりサービスが、何であり、何であるべきか、どのように買われるべきか、何のために使われるべきかを、顧客以上によく知っていることである。必要なことは、予期せざる成功を機会と見なし、自分たちの専門に対する侮辱とは見ない姿勢である。マーケティングのあの基本原則を受け入れることである。つまり企業というものは、顧客を改心させることによって対価を得ているのではないということである。顧客を満足させることによって対側を得ているのである。』とドラッカーは言います。それ故、『学び合い』を取り入れたいという学校に行ったとき、校長には「何がお望みですか?」と聞くようにしています。
本日、ある受験産業の方とのやりとりの中で、「教育ビジネスの難しいのは、誰も変わることなんて(お客は)望んでいないのに教育はお客の態度・価値観変容をさせる使命も一部にある点、ですね。」という言葉がありました。とても、いいなと思います。
まさに教師、学校の責務です。
そして、私もその責務があります。
嫌われないようにしなければならない。これが難しい。まあ、ある主張をすれば必ず嫌われます。ポイントは中間層に嫌われないことです。
■ [嬉しい]サバイバル・アクティブ・ラーニング入門

今、出版社から連絡が来ました。サバイバル・アクティブ・ラーニング入門が発売から1週間とたたずに第2刷発行決定となりました。何が嬉しいかといえば、これで餓死・孤独死する子どもの数が減るからです。読んでいない方は、大げさだと思うでしょう。でも、私は本気です。
■ [大事なこと]時間

私は我が子が医師になりたいと言ったら勧めません。理由は、時間がないからです。
地元には昔からお世話になっている医師がおられます。上越市の高額納税者のトップグループに名を連ねる方です。家代々の医師の家で、家業です。あるとき家族で映画館で映画を見に行くと、その先生がおられました。質素な服装で目立たずに。プライベートの時間を邪魔しては申し訳ないので黙礼で済ませました。映画が終わりエンドロールの頃にさっと映画館を出られました。
その時思いました。「大変だな~」と。お金を稼いでも、そのお金を使う時間がない。ほぼ一年中、休みはありません。「その先生」をたよっての人が一杯いるからです。頭が下がります。
これからの世界において最も価値がある富は「時間」だと思います。以下の記事が、未だに旧価値観で医師の不満を分析していることに首をかしげつつ、上記を書きたくなりました。
■ [大事なこと]一斉指導

一斉指導とは一人の教師が多数の子どもに対して授業することです。この一斉指導の延長上にはアクティブ・ラーニングは「絶対」に生まれません。それは小学校レベルの計算で証明できます。
一クラス30人としましょう。1校時を30人で除せば2分弱です。一人一人の子どもは最大限2分程度、教師と双方向的になり、主体的になれます。もしくは1単元の中で十数分程度、教師と双方向的になり、主体的になれます。でも、この程度でアクティブ・ラーニングなのでしょうか?この状態でアクティブ・ラーニングになっているのは教師ただ一人です。例えばサンデル教授の白熱授業では、アクティブになっているのはサンデル教授ただ一人です。
実際は全ての子どもに2分弱の時間関わっていません。殆どの時間は教師の一方向の時間に費やしています。これでアクティブ・ラーニングと思えるのは、子どもという仮想な存在を前提としているのです。子どもという子どもは一人もいません。
従って、アクティブ・ラーニングを実現するには、子ども同士が協働的に学ぶ時間を与えなければなりません。さて、どれぐらい与えたらいいでしょうか?ここに学校教育の意味をどう考えるかによって差が出ます。
少し成長した大人にしようとするか、大人にしようとするか、です。
採用間もない学生の新任教師を大人にするにはどうしたらいいでしょうか?大人として扱い、失敗させ、乗り越えさせるしかないと思います。それによって少し成長した大人になり、それを積み重ねて、一人前の教師に成長します。もし、教育実習的な仕事を与えて一人前の教師になると思いますか?「私」はそう思いません。
そんなのは無理と思うのが普通です。そうやって小学校、中学校、高校と育てられています。常に、「子どもだから」と育てられます。その子どもが大学の4年間を過ごしたのちに採用されます。新規採用者が高校生と違う「大人」ですか?4年間で魔法のように大人になるのですか?
大人にするには、小学校の時から大人に育てなければなりません。では、1校時の内のどれぐらい子どもに任せるべきでしょうか?色々な考え方があるでしょう。『学び合い』はほぼ全てを任せます。そして、そこまでではなくても大人にしようと任せるならば、それは一般的な意味での一斉指導ではなくなっています。
■ [大事なこと]求められる情報

私の時代までは大学卒業の学歴は豊かな安定した生活への切符でした。そして、大学に入学した人の大部分は卒業できます。だから、大事なことは大学に入学することです。そのため、大学に入学する情報が大事で、受験産業はそれを提供していました。しかし、私立の文系は定員割れをして誰でも入れる大学が登場しているし、定員割れをしないところでも、随分と入学しやすくなりました(だから代ゼミが潰れていくのです)。だから入学するための情報の価値がどんどん下がっています。
さらに、大学を卒業しても非正規採用になる時代です。重要なのは、いかに入学するかではなく、以下に就職するかなのです。だとしたら、受験産業が提供すべき情報も変わっていくべきです。
大学別の就職状況レベルの提供はしていますよね。しかし、奨学金の滞納者の割合などを大学別に提供することも考えられます。そして、受験生に各大学の教師の情報を提供するのです。具体的には、自分が志望する業界との繋がりの強い教師は誰かを提供するのです。
上記に対応する受験産業はないかな?
そうすれば大学も変わります。実務に強い大学教師を大事にし始めます。
追伸 ただし、これが成り立つには、小中高のキャリア教育が大きく変わらなければなりません。今月末もしくは来月頭に、新しいキャリア教育の本を出します。昨日、ゲラを出版社に戻しました。