■ [大事なこと]論点整理

しかし、両者の役割分担は明確に違っています。自ずとやっていることも違います。でも、医療でひとくくりに出来ます。
もし地域医療の改善を議論するとき、一台数億円の医療機器の導入計画と、地域に根ざした巡回医療計画が同じテーブルで議論されたら混乱しますよね。
人工知能やロボットに置き換われない能力。それを日本がいち早く獲得する必要があります。それはおおよそ二種類です。
前者を育成するのが5%の子どものためのアクティブ・ラーニングで、後者を育成するのが95%の子どものためのアクティブ・ラーニングです。町医者も大病院も重なる部分は多いですが、議論を分けないと話しが混乱する。
ま、もっとも圧倒的大多数の教師は、人材養成がアクティブ・ラーニングの本体であるとは考えず、主体的で協働的になることがアクティブ・ラーニングの本体だと思っている。しかし、人材養成を意図しないということは、教え子が飯を食えないということを理解していない。
追伸 ある方から教えてもらいました。中央教育審議会の各委員がアクティブ・ラーニング関係で、どんなところに視察し、どんなところをモデルケースとするか。それで真意が分かります。
■ [大事なこと]総合的な学習の時間

アクティブ・ラーニングは総合的な学習の時間を同じだという意見があります。
私はそれは正しいと思っています。しかし、総合的な学習の時間が何であるか、それを理解している人はあまりいないように思います。
あるとき、ゼミ生に「中央教育審議会はどんなことを考えているのですか?」と聞かれました。それに対して、以下のように応えました。
「中央教育審議会という人はいない。委員の数だけ考えがある。いや、どんな人でも、小さい部会で言うことと、全体会で言うことは違う。私のように、教育を社会的な意味からとらえ解釈する人もいるだろうし、明日の授業をどうするかで解釈する人もいるだろう。
ただし、昔と今では決定的に違うことがある。それは、教育関係者以外の人の余裕だ。昔は余裕があった、だから、教育関係者に任せてくれた。しかし、今は任せてくれない。総合的な学習の時間を決めたときに参加した委員の中には、日本社会のレベルで考えている委員はいた。しかし、実際の授業のことに関しては、授業のことを考える委員に任せていたし、その委員は学校現場に任せていた。しかし、今からの改革において、授業のことを考える委員、また、学校現場に意見を言える余地はない。だから、学校現場の人間が日本社会のレベルのことを理解し、新しいゲームのルールで意見を言わなければならない。」と。
アクティブ・ラーニングを授業レベルで物事を考えようとする本はこれから売れなくなると思います。理由は簡単です。それを求める人は、「今まで通りで大丈夫だ」と考えているからです。アクティブ・ラーニングを総合的な学習の延長上に考える人が、本を買うわけないですから。それが売れるのであるならば、総合的な学習の時間の本や道徳の本が売れるはずです。道徳の教科化に向けた道徳の本レベルには売れるでしょうが、そのレベル以上には売れないでしょう。
当たり前のことなのにな~。