■ [大事なこと]怒濤
新年度に向けて、怒濤でやっています。
バカみたいにやっているのは三つの理由です。
第一は、「今までの実践の延長上でいいんです」という安易な妥協(総合的な学習の時間や言語活動の充実であったような)にならないために、Know-HowではなくKnow-Whyに応える本を出します。
第二は、そのための具体的なKnow-Howを提供します。
第三は、周りとの軋轢を避けて、Know-Howを実践するために必要な、対人関係のKnow-Howを提供します。しまり、喧嘩しない、クレームが来ないようにするにはどうするか?です。
具体的には、以下のような本が現在進行しつつあります。
教科指導本として、学陽書房の「すぐ実践できる!アクティブ・ラーニング」シリーズの未完の高校英語、高校国語、高校理科が順次刊行され、シリーズがそろいます。
また、小学校関係として、小学校国語(1年~6年の各学年)、小学校算数(1年~6年の各学年)、小学校社会(5年~6年の各学年)、小学校英語(5年~6年の各学年)が進行中です。
また、中学校1年の数学本も進行中です。
アクティブ・ラーニングにおける評価はどうすればいいかの本も進行中です。
彗星のごときに現れたカリキュラム・マネジメントに関しても、Know-HowではなくKnow-Whyに応える本を出します。その上で、それを具体的なKnow-Howを紹介する本。それを実現した結果、学力が向上した学校の実践本を出します。
『学び合い』を失敗しないようにするにはどうしたらいいか?それに関する本と、実践者の経験談をまとめた本を用意しました。
ということで25が進行中です。
そして特別支援に関わる本がまとまりつつあります(私が今までで一番涙を流しながら書いた本)。
以上は、数多くの同志とゼミ生と、三つの出版社の最も優秀な編集者のご理解とご協力の下に、上記の荒技を進めています。
まっててね。
『学び合い』の実践者の方々の勤務校でカリキュラム・マネジメントを実現するには、かゆいところに手が届くツールがないと周りの人は動かないから。
■ [大事なこと]責任
あるゼミ生との会話です。
私はゼミ運営に関して『学び合い』で運営しています。おそらく信じられないほどゼミ生に任せています。もちろん、うまくいかないこともあります。その場合は、その責任を負うし、ゼミ生に謝れます。
ゼミ生は「何故、自分の責任と思えるのか?」、そして「教師になったとき、自分は負えるだろうか?」と聞かれました。
前者に対する回答です。
我がゼミの学生は「本当にいい奴ら」です。だって、「一人の見捨てない」という多くの人には荒唐無稽にみえることを掲げている変な教師のゼミに入ろうとしているのですから。だから、そのゼミ生集団で問題があるとしたら、私の責任に決まっています。一人一人が善意であり、少なくとも悪意の無い行動が集団としてうまくいっていないならば、それは集団に対して課題を与えている私の責任に決まっています。『学び合い』のセオリーに従って、現状を分析すれば原因は何かが明らかです。
そのゼミ生に対して、現状の問題点の根本的な原因を分析して説明しました。
その上で、そのゼミ生の担当する子ども達は西川ゼミレベルでは無いと思います。中には悪意ある子どももいるでしょう。例えばサイコパス。でも、圧倒的大多数の子どもは悪意はなく、善意で行動すべきだと分かっている子どもです。そして、2、3割はかなりの善意を持っている子どもです。そして、その子が動けば、中間層も動きます。つまり、本質的には西川ゼミと同じ動きをするはずです。だから、『学び合い』のセオリーで分析すれば、原因は明らかになり、そして、その原因は教師である自分であることは分かります。
後者に対する回答です。
何のために私は責任を負えるか。
それは自分のためです。
もし、私が責任を回避したり、曖昧にしたら、ゼミをリードする子どもから見捨てられます。そうしたら、その子たちは動かなくなり、私「一人」で全てのことをしなければなりません。それは無理です。
私「一人」でなんとかできるようなゼミ運営をすれば、そのレベルの達成度しか達しません。そして、そんな状態に私は誇りを持てません。とくに『学び合い』で運営したゼミのレベルを知っている私は。
つまり、私は時間的・精神的に余裕を持ちながら、誇り高い人生を得たいと願っているので、責任を回避したり、曖昧にしません。繰り返しますが、自分のためです。
以上を説明した後に、「どっちの人生を歩みたいの?」と「嫌らしい笑顔」でゼミ生に語りました。
追伸 責任を負った結果、完全ハッピーエンドになるかは分かりません。しかし、どんな結果であったとしても、責任を回避した結果よりは「まし」であることを疑うことは出来ません。私はスーパーマンではなく、凡夫であることを十分に理解していますから。