■ [大事なこと]思いの強さ
継続は力なり。
自分の実践を本にしたい、という人の相談を受けることがあります。
その本を出版する出版社はどれだけの投資をするのでしょうか?
ラフに言って300万円から400万円です。
赤の他人に、それだけの金を出させるとしたら、損をさせないという責任が生じます。
が、それを理解するのは大変です。分からないからと言っても、仕方が無い。
私の最初の出版は、ボスの戸北先生の口利きで成り立ちました。ボスの戸北先生が不義理をするのは耐えられません。必死に、ありとあらゆることをしました。儲けたいと思うのではなく、戸北先生に迷惑をかけたくなかったのです。
その後も、多くの人の好意により、多くの本を出すことが出来ました。ハッキリ言いましょう。お金の面から言えば、本を出すより講演会の方がコストパフォーマンスは遙かに高い。では、本を出すのは何のためか?不特定多数の方に、最初のきっかけをもってもらいたいから。その機会を与えてくれた方々に感謝しています。だから、戸北先生と同じように、迷惑をかけたくありません。
じゃあ、何をしているか?
毎日、ブログやFBで書き続けています。
最初は大変です。でも、続けています。
私は多くの仲間が本を出して欲しい。そうすれば私は本を書かなくていい。でも、そのためには、恩を受けたら、恩を返す。それが出来なくても、迷惑をかけない行動をする。その当たり前の行動を、ずっとし続けることです。熱狂で2ヶ月やることは誰でも出来ます。でも、十年続けることは意思が必要です。
内田樹さんレベルだったら毎日でなくてもいい。でも、凡夫である私は量で補います。
同志。意をくんでください。私は本を書きたくない。
■ [大事なこと]セグメント化
私が相手をすべきは変えようとしている2割の教諭と校長。ま、不必要な軋轢は避けるべきなのですが・・・・
私の敵は『学び合い』に反対する人ではありません。特に、下品で大人げない表現をする人ではありません。それらの人たちは自然に自家中毒になります。
私の敵は、今のままでいいと思っている人。今のままであれば、「自分」はいい。つまり、大部分の人です。でも、今のままで、地獄の苦しみをしている1割がどうなるかを間近で観ました。そして、今は、今のままの授業で満足している子どもが就職後にどうなるかを知っています。
ナチスドイツが政権を握ったのは、ナチスドイツを賛成した人ではありません。どんな時代でも、民族的な偏見を持ち、他国に対して敵対心を持ち、武力で解決した方がいい、という人は一定の割合でいます。でも、たいていの人は、それがダメだと言うことを知っています。その人たちが、黙るからナチスドイツが政権を握り、暴走した。
私は悪気の無い中間層に、現状の危険性を伝えるために必死になっています。
それで手一杯なので、『学び合い』が大嫌いな人とつきあう時間は無いのです。
『学び合い』のセオリー通りの行動をしています。
私が用意したカリキュラム・マネジメントの意味を分かる校長に分かってもらえれば十分なのです。ちなみに、これから数ヶ月に、それを学ぶために上越にくる管理職がかなりいます。
追伸 イタズラ好きの私は下品で大人げない表現をする人を、いじくりたくなります。定期的に。ガキですね。
■ [嬉しい]カリキュラム・マネジメント
今から書くことは、気を逆なですることかもしれません。ご容赦下さい。ま、戯言と聞き流して下さい。
中央教育審議会関係のパイプからアクティブ・ラーニングという言葉が流れてきたとき、「ま、言語活動の充実程度のことでしょ」と思っていました。しかし、調べてみると、もの凄い背景があることが分かりました。そして、『学び合い』が目指しているものと一致することが分かり、「お、風が吹いてきたな」と思いました。いつかはそうなるかは分かっていましたが、まさか、この時期に、文科省から吹いてくるとは思いませんでした。
そして、最終段階になってカリキュラム・マネジメントが脚光を浴びました。最初は?でしたが、調べてみると「やった!」と思いました。色々な理由がありますが、分かりやすい理由を一つ。カリキュラム・マネジメントの三つの側面の第一は「各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。」とあります。カリキュラム・マネジメントとアクティブ・ラーニングは「一体として捉えてこそ学校全体の機能を強化することが出来る。」と答申で書いてあります。
さて、色々な教科ごとに様々なアクティブ・ラーニングが提案されています。しかし、様々な教科で一貫したアクティブ・ラーニングの理論と実践があるのはあるでしょうか?それも実践例、指導方法レベルで教科横断的なものはあるでしょうか?
お叱りを覚悟で言えば、『学び合い』だけだと思います。
もし、教科を異にする教員同士で同じ土俵で理論的・実践的に話し合えて、やろうと思ったとき、直ぐに事例が提供できるのは『学び合い』だけだと思います。
私の頭の中のチェスでは「チェックメイト」です。
ま、戯言です。