■ [大事なこと]思い出
成人式で荒れる人がいたとき、その人を教えた中学校、高校の教師がその子を押さえられるでしょうか?きっとむりです。
私が定時制高校の教師時代。夜9時に授業が終わっても、校舎の周りで子どもたちがたむろします。彼らにとって憩いの日々です。彼らは朝から夕方まで仕事をしています。仕事場では最下層でしょう。
私の担任の一人が休みがちになり、ず~っと休むようになりました。無口な子です。色々と話しても、素直に聞きますが、暖簾に腕押し。やがて保護者が来て退学の手続きです。
私が高校の校舎から出て行くと、タバコを堂々と吸っている子どもがいました。あわてて注意しようと近づこうとすると、退学した、その子だったのです。私は目をそらし、家路につきました。
そして、その日以降、校舎の周りの子どもたちの中に、その子はいませんでした。
私はそれ以前も、それ以降も、エンターテーメント性の高い、笑いと涙ある授業をやっていました。それなりに充実していました。しかし、それが嘘であることを知っています。
これって、最底辺の高校教師だから分かるのだと思います。退学が殆ど無い高校、そして全ての義務教育の教師は気づかないのかもしれません。それが見やすくなるのは高校ですから。
そんな思いで、カリスマ教師の文章を読むと、「馬鹿野郎、おまえは最後の一人がどうなるのか知っているのか」と言いたくなる。かっての自分にいつも言っているように。
■ [大事なこと]成人式
各地の成人式が荒れていますね。その対策として、「公務執行妨害で直ぐに逮捕する」というものがありますし、偏差値別の成人式にするというものがあり、穏当な解決策として「成人式をやめる」というものがあります。
本日、ゼミ生が「地元に帰って西川先生が言っている地域コミュニティの大事さを実感しました」と言いました。私が「どういうこと?」と聞くと、「地元の同級生同士が殆ど繋がっていないことを知りました」と言いました。そこで「でも、ヤンキーは繋がっているでしょ?」と言うと、「あ、確かにヤンキーに近い人達は繋がっていました」と言いました。
今の学校は授業時間で仲間をつくっていません。だから、繋がりを持てるのは部活です。部活に燃えない人はネットワークを持てないのです。そして、部活でネットワークを持っていても、卒業して各地に散れば、相対的に疎遠になるのは当然です。
それに対して、授業時間に参加できない生徒同士は傷をなめ合い、支えながら繋がっています。そして、高校卒業後も地元に残り、傷をなめ合い、支えながら繋がっています。
つまり、成人式に集まる人達の中の最大のネットワークはヤンキー達であり、時には唯一とも言えます。だから、傍若無人にもなります。
その最大のネットワークの人達が年を重ね、その地域をリードすることになるのです。
小中高校で全ての人が多くの人繋がれることではないでしょうか?
成人式を廃止しても、地域コミュニティの未来像は明るくなるでしょうか?
学校での一人も例外のない集団づくりは、迂遠なようで唯一の解決策のように思います。
追伸 何故起こるのだろう、と集団の有り様で考えるのと、個人の特性だと考えるの違いです。
一人も見捨てないのにはどうしたらいいだろうか、と考えるのと、どうせ駄目なんだから強制・禁止するしかない、と考えるとの違いです。