■ [大事なこと]カリスマ教師
教師にとってのカリスマ教師はいます。でも、子どもにとってのカリスマ教師はいません。
教師になる人は、成績で言えば中の上、上の下の人です。地元志向が強い人です。多くは教師に従う人です。きわめて均質性が高い。
でも、子どもは成績が下の下、から、上の上がいて地元志向が低い人がいます。
以上、証明終わり。
■ [大事なこと]今すべきこと
本日、ある『学び合い』の会の集合写真を見ました。いいな~と思いました。
少人数です。
今の時代、『学び合い』を実践する人はイノベーター、アーリーアダプターの人です。イノベーターは理屈のみの人です。周りがやっているかを気にしません。でも、アーリーアダプターの人は、その理屈が実際にやってみたらどうなるか、という実例を気にします。『学び合い』の会で実際にやってみた人と会話することによって納得します。
一人の教師が納得すれば、その教師の生涯に教える子どもの人生の中で「一人も見捨てないのは得だ」と語られる子ども達、そして仲間を得られる子ども達は万人を超えます。尊いことです。その人が他の人に伝えられたら、凄いことです。
私は多くの本を書きました。でも、本で伝えられないことがあります。
昨日、午前中にお悩み相談のメールをいただきました。会うことを誘って、午後、その方と2時間話し合いました。私は、そのような行動を、二十年弱続けています。何故でしょうか?一人を変えることは、とても大事だと思っています。
だから、私が講師で講演するとき、聴衆の数の1割を頭に浮かべます。その人が分かってくれれば御の字だと思っています。本日の講演で10人分かってくれたら御の字です。そのぐらいの効率で考えています。分かってくれる人が少数でも良い。私と一緒に出来ることをやってくれる人が大事です。とりあえず、私が見捨ててしまった子どもに対して、本日は申し訳が立ちます。
■ [大事なこと]どっちが先
『学び合い』を実践している若い人に、「『学び合い』をやるまえに、まずは一斉指導ができなければならないよ」とアドバイスする人がいます。いや、多いでしょう。つまり、一斉指導の基礎がないと『学び合い』が出来ないと思われています。そうでしょうか?
教師の言うことを黙って聞いてくれる子ども集団の場合を考えましょう。
これは一斉指導は楽です。ようは喋って、板書していれば良いのですから。以前、中学生に小学生相手の授業をさせましたが、教育実習生並みの授業は出来ます。考えてみれば当たり前です。彼らは十年弱、週30時間程度の一斉指導を受けているのです。
ところが全員を分からせることは一斉指導は不可能です。何故なら子どもには多様性があるからです。万人が分かり、万人が喜ぶ説明なんてあるわけありません。でも、つまらなくても、分からなくても、じっと聞いているクラスが多かったので一斉指導が成立していたのです。
ところが今はそうでありません。さらに、今からはもっとそうではありません。このような状態だったら授業を成立させることに関して、『学び合い』の方が遙かに楽です。あわてて付け加えますが、楽ではありません。ただ、一斉指導は不可能であるのに関して、『学び合い』は成立させられる可能性があります。だから比較の上で遙かに楽です。
実は、一斉指導においても、『学び合い』においても、子どもが主体的に判断するとき、教師の授業を聞くか、聞かないかは、「分かる/分からない」、「面白い/面白くない」だけで決めているわけではありません。教師の人を見て決めているのです。では、人とは何でしょうか?『学び合い』の場合は一つの願いと二つの観にまとめられ、それに一致した方法論が確立されています。だから、人を形成させやすいのです。