私は分類不能の研究者です。私の業績を見て何々の専門家と分類するのは難しいと思います。ま、理科教育学での業績がものすごくあります。が、それ以外もものすごくあります。
最近、学部学生が西川ゼミを選びません。私なりの分析ですが、私の所属しているコースが人気コースになったと思います。つまり、「変」な学生がいなくなりました。どうしたらいいかをゼミ生に尋ねたら「泣いてはいけない」とのことでした。私が高校教師だった頃の話をすると、私は泣いてしまいます。申し訳なくって。たしかに、それが普通の学生さんには負担です。でも、それが私です。半世紀前の教え子のことを考え、その罪の意識にさいなまれるのが、私です。
私のゼミに所属するゼミ生は4タイプです。
第一は、すでに『学び合い』を実践し、そのパワーを分かった人です。現職の人で、ほとんどは新潟県の人ではない。他県の現職教員は地元ではなく、上越教育大学を選ぶ段階で指向性がはっきりしています。でも3年に一人ぐらい、西川ゼミに入るために上越教育大学を受ける学部生がいます。すごいな。
第二はロマンを感じて所属する人です。「一人も見捨てない」なんて無茶と思うのが普通です。それを掲げて、それがいいなと思うロマンチストです。
第三は、自由な西川ゼミだった、生き残れるなと思う人です。西川ゼミはやるも、やらないのも自由です。
その上で、自らを省みます。
「一人も見捨てない」というメッセージに反応する子はいるはずです。でも、いないとしたら、私の心がそうなのです。我が心の至らなさを恥じます。