教え子との間合いは難しい。変な私を選んでくれた時点で、可愛い。ゼミ生を見ていると、目尻が下がる。高校教師の時は高い高いをした。ハグした。男子に関してはベロベロなめた。それほど可愛かった。でも、それが何をもたらすかを知りました。
だから、教え子とは他人であることを語ります。「君がどうなっても私の幸せには1mmも影響しない」と語ります。そして、家内への愛と尊敬、息子への愛を語ります。その上で可愛がります。
彼らが私が何を語るかを第一優先とするのではなく、自分の望みを第一優先して欲しい。その手段として、私以上に多様に人をツールにして欲しい。それが出来たならば、安心してじゃれあいます。
子どもと接するとき、理論が必要です。なければ、ぶれる。そうすればリードする子どもから見捨てられる。
しかし、理論だけではリードする子どもから見捨てられる。愛がなければ。ただ、肉親の愛ではない。無償の愛ではない。当人が育つことを願い愛。
今日、ゼミ生とからんで、思いました。