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指導案

 教員養成系大学・学部においては、指導案の指導が必修です。それは実習校で求められるからです。しかし、大学教師を35年務めていますが、その意義が分かりません。

 私の教育実習は高校でしたが、板書計画を指導教諭の方に出しましたが、指導案は出しません。そもそも指導案というものがあることを知りませんでした。ところが教員養成系大学に勤めて、初めて知りました。最初は多くの人が大事だと思っているのですから、大事なんだろうな~程度に思っていましたが、知れば知るほど、馬鹿馬鹿しく感じます。

 説明します。

 指導案で良い授業が出来るならば、何故、一人一人が作成する必要があるのでしょう?名人教師の指導案に従えば良いだけのことです。ところが名人教師の指導案に基づいたクソみたいな授業もあれば、教育実習生の指導案で素晴らしい授業もできます。授業の善し悪しは、何を語られるかで決まるのではなく、誰が語るかで決まると思います。

 予想される子どもの反応、手立てというものが指導案にあります。私は子どもって誰のこと?と思います。一人一人の子どもによって反応は違うし、手立ても違います。何故、一律に書けるのでしょうか?笑い話のような経験があります。ある教師の授業を参観しました。参観者の多くの評価は高いのです。何故なら、指導案通りに進行したからです。その教師は「子ども願い・発想に基づいた授業」だと強調します。私は内心笑いました。エスパーでない人が一人一人の願い・発想を予想できるわけありません。それにも関わらず、指導案通りに進行したならば、教師が誘導したのです。

 いったい、指導案って必要ですか?

追伸 パワポなしで大学の講義をするとき、私は手の甲に5つぐらいの短文をメモります。絶対押さえたいことと、その順序を間違えないためです。それで問題なく1時間半の講義が出来ます。いや、かえって生き生きと出来ます。その場の空気の中で講義を組み立てられるからです。