学生からの質問の多くは二つに分かれるように感じます。
第一は、「西川先生は」で始まる質問です。私の生き方を聞く質問です。
第二は、個別の子どもの問題点をつらつら語り始める質問です。そのような質問が始まると、止めます。そして、「その子、その事を解決することは教師には出来ない。その子、その事を解決できる集団を出来るのは教師だ」と申します。この返し方は、私の返し方のトップだと思います。ゼミ生は何度も、質問し、私は何度も応えます。だから、応えた瞬間にゼミ生は愚かさを自覚します。
いいのです。彼らが個に拘る気持ちがあることは大事です。でも、その個を救うには集団に意識を向けなければならないのです。
私はゼミ生に、「私はお前の友達でない」、「お前らがどうなっても、私の幸せはちょっとも変わらない」と頻繁に言います。多くの人からは「冷たい教師」と思われるでしょう。しかし、その事を言えるのは、それが「愛」に発することをゼミ生が感じていると確信しているからです。教師の愛は親兄弟親友の愛とは違います。
入門段階の一人も見捨てずの先に、ゼミ生を誘いたい。
ま、卒業後は、ゼミ生がどれだけ幸せになりたいかに依存します。短期ではなく、中長期で。