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最終的には

 今、ゼミ生が私とゼミ生との問答を分析しています。それは公開しています(https://www.youtube.com/@TheNishikawalab)ので、検証下さい。十数年以上前の私とゼミ生の対話は『学び合い』の授業の質問に対して、私が応えています。

 かなり以前から、授業レベルの質問は無くなり、「私」の生き方を質問しています。ま、私が授業レベルを超えたなら、ゼミ生達も超えます。

 今も、授業レベルの『学び合い』に対しての相談を外部からは受けます。それに対しては授業レベルの『学び合い』に応えを返します。しかし、それは現在の西川ゼミ(オンライン、オフライン)では殆どありません。

 授業レベルの『学び合い』と今の私の『学び合い』、今のゼミ生の『学び合い』は方向性は一致していますが、表現は真逆になります。だから、上の次元に至らないと、相反するように思われるでしょう。

 例えばです。教室には様々な問題が生じます。ジャイアン型の子どもがいた。自閉症の子どもがいた。場面緘黙の子がいた。・・・どれでもいいです。教師用図書の棚には、その一つ一つの問題解決の手引きがあります。が、無理でしょうね。だって、その子以外は、その子に対しての対応をどう見ているかの視点に欠けています。

 それと同種です。

 一人一人に寄り添うことが良いことだと思っている人が大多数です。でもね、その子を分かるのですか?私は実証的データによって、かなり見とりの能力の高い教師であっても半数以上はトンチンカンであることを明らかにしています。仮に正しくても、その子に寄り添うことによってのデメリットが生じます。

 これらは、その人が気づけた、「その子」の問題を解決することが教師の仕事であり、出来るという前提があります。

 無理です。

 私に対して、様々な人が『学び合い』においてどう語るべきですか?と訪います。私は大爆笑します。そして以下のように語ります。

 小学校1年生の中にも6年生並みの子どもがいる。6年生にも1年生並みの子どもがいる。さて、どうかたるの?と問います。

 無理ですよね。

 ゼミ生には、「教師の仕事は、好かれたり、分かりやすい授業をすることではない。語るべき事を、語るから給料を貰える」と言います。

 こっからが、殆どの人には理解できず、西川ゼミのゼミ生には分かること。基本ときなことを語り、それを毎日の生活に体現すれば、何も語らなくても、子ども達はうまくいくのです。これが『学び合い』の最終形です。

 ま、分からないよね。でも、やがて気づきます。1条校の縛りの中でやる『学び合い』ではなく、内容の個別最適化に対応するにはそれ以外はありません。まあ、遅くても10年以内に分かる人が増えるでしょう。