私は基本的に教材研究は不要だと思っています。昨日もそのようなことを書いたら、以下のような質問が来ました。
それに対する私の回答は以下の通りです。
大事な質問なので、長文ですがお応えします。
まず、教科内容を学ぶレベルでお応えします。
子どもは多様です。一つの教え方で、全ての子どもが分かるわけありません。最悪、その教科の大好きな教師が教材研究をすると、圧倒的大多数にはチンプンカンプンになります。このあたりは認知心理学のエキスパート・ノービス研究によって明らかにされています。
一人一人の子どもの最適な分かり方を探るには膨大な対話が必要です。一人の教師が物理的に不可能です。だから最適な分かり方を探り合う集団づくりの方が大事なのです。
ただし、教科内容を学ぶレベルは『学び合い』としては入門段階です。最終的には子ども達の一生涯の幸せを目指すレベルにならなければなりません。そして、それが揺るがないようにするには、子ども達の一生涯を目指すことが自分と家族の一生涯の幸せに繋がることを理解する必要があります。そのためには、歴史学、生物学、心理学、経営学等を通して、これからの社会と、そこにおける幸せを理解する必要があります。従って、教科内容の教材研究をする暇なんてありません。
もちろん、全ての人がそのレベルに達する必要はありません。職員集団の2割弱がこのレベルに達して、残りが教科内容を学ぶレベルで結構です。
教師が守るべき第一優先は、教え子ではなく、我が子と伴侶です。時間のかかる教材研究をするぐらいなら、さっさと家に帰って家族との時間を守って下さい。
なお、『学び合い』の実践者の方々は、「『学び合い』は教材研究は不要だが、教材研究をしたくなる」と言われます。理由は、子ども達の自由な発想を聞いていると、その発想の豊かさと斬新さに感激し、教材をもう一度研究したくなるのです。まあ、自分の楽しみで教材研究をするのはありですが、ほどほどにしましょう。注意点は二つです。先ほども申しましたように、優先すべきは家族との時間です。第二は、上記の教材研究の結果を子ども達に強いないで下さい。
従来型の授業では教材研究によって教材を創ります。それはコックが料理をつくるようなものです。しかし、『学び合い』における教材との向き合い方はグルメです。子ども達が生み出す斬新な教材を多様に多数に味わうことによって、本当に良いものが分かるようになります。