ゼミ生から、ある高名な管理職についてどうおもうか?と聞かれました。私は評価しないと言いました。管理職による改革は、2回代替わりをすると跡形もなくなります。つまり10年以内に跡形もなくなるのです。改革は打ち上げ花火ではなく、継続してこそ意味があります。
何故、跡形もなく無くなるのでしょうか?それは初代の改革者が、アーリーアダプターとアーリーアダプター寄りのマジョリティが実践できるノウハウを整理していないからです。
イノベーターの初代改革者はイノベーターに伝えることが出来ます。その数は小さいので、継続するのは困難です。何故なら、学校の職員数にイノベーターが3人以上いることは確率的に極めて希だからです。だから、継続するにはアーリーアダプターとアーリーアダプターよりのマジョリティに理解させなければなりません。まあ、アーリーアダプターは理解できるでしょう。問題はアーリーアダプターよりのマジョリティへの伝え方です。マジョリティの特徴は失敗を恐れるのです。そして失敗すると諦めてしまいます。しかし、ムーアのキャズム理論によれば、マジョリティに広がれば広がるし、安定化します。ムーアはこれを超えるためには2つの方法があるとしています。ニッチな市場で市場を独占し、そこでの成功を土台に市場を広げる方法です。実はかつて私も試してみました。僻地小規模校での全校『学び合い』は、僻地小規模校の抱える問題を劇的に解決します。ところが失敗しました。理由は人事交流によって薄まってしまいます。これは進化論の結果に一致します。新たな種が誕生するには、狭いエリアが一定以上隔離される必要があるのです。つまり、僻地小規模校同士の人事交流に限られていたら、私の試みは成功したかもしれません。しかし、公教育では無理ですね。
第二の方法は、ホールプロダクトの完成です。ホールプロダクトとはマジョリティが失敗せずに、一定以上の成果を上げるための一連のプロダクト群です。私は、これを鬼のように書きまくりました。その結果として、私の全く知らないところで、『学び合い』実践者が生まれているのです。
かつての教育実践界で上記のような戦略を展開した事例があるでしょうか?まああるとしたら、荒れた中学校という市場で活性化した「学びの共同体」が挙げられると思います。しかし、子どもが無気力になり「荒れ」が顕在化しなくなるとニーズが低下しました。
だから改革者の管理職はマジョリティ向けのマニュアルを完成させ、公開すべきなのです。しかし、寡聞にしてその事例を知りません。
具体的には、教育委員会をはじめとする様々な利害関係者との政治の仕方を具体的に書くのです。私の知る限り、「学校改革スタートブック( https://amzn.to/3V5pyyu )」以外にその例を知りません。